同じ土俵
娘のピアノコンクールを聴きに行き、もうほんとにみんな
上手すぎて、また自分で弾くのが嫌になってしまった・・・
みんな上手だからなんだ?って話なんだけれど
「ピアノ弾く人って、人前で弾く人って、このぐらいじゃないと
ダメなんじゃない?」と思ってしまった。
昔から「人様の前で弾くレベル」ではないときは弾かないようにしていた。
=練習をしないときはレッスンを休む。
今でもその精神は変わらず。
だからよその子のレッスンを聞いて「よくそんなレベルで先生の前に来たな!」とも思ったし、発表会に至っては「おめーーーよーーー舞台に立つんだから最低限の練習はしてこい!!!」と(見も知らぬよその子に)激怒して帰ってきたことも多々ある。
というわけで「大人ピアノ」の方向性(ステキな音で楽しさが伝わるように弾く)は決まったものの、練習をしない、かつ
自分のピアノがますます嫌になってしまい、またいつものように遠ざかってしまった。
夏が気ぜわしかったため大人のレッスンはお休み。
9月に入り再開して先日行って来たけれど、まあほぼ弾かないで行き
トークでその場を濁して帰ってきた。
ツェルニーとモーツァルトの13番とギロックの1曲を練習していたのだが
どうにか先生の前で弾けたのはツェルニー。
ギロックは簡単な曲を「いかに美しい音で弾くか」を目標に仕上げるようにしていて「次暗譜ね」と言われたのだが、たかだか1ページの曲なのに
さあ弾こうと思うと最初の音さえでてこない病は継続中。なのでもちろん弾けず。先生は「暗譜ね」と言ったことを忘れていたのか忘れたふりをしてくれたのかはわからないけれど、楽譜を見ながら弾いて、かつ、音の凸凹が自分でも本当に嫌になるほどだったのにとりあえず〇。
はい、じゃあモーツァルトとなったのだが・・・
モーツァルトの音って本当にわかりやすくて、というか
「モーツァルトかそうじゃないか」ってことがわかりやすいだけで
自分で弾けるかどうかは別。
毎日何時間も弾いている娘も、先生から「あなたの音はモーツァルトじゃないからねえ・・・ベートーベンかハイドンにしましょう」といつも言われ
なかなか弾かせてもらえない。それでも無理矢理課題曲をモーツァルトにしても何か月してもその音は出てこなくて、本番1週間前にやっと「きた✨」となることを見て来ているので、私が出せるわけもなく
弾いたところで「こんなのモーツァルトじゃねえ・・・」と思いながら弾くからどんどん嫌になる。
で、またやめた。言い方が悪い。「寝かせることにした」。
寝かせることにした曲、何曲目だろう・・・。今の先生のところで
習い始めてからにしたって3曲はある・・・要は仕上がらずに途中で投げ出したということだけれど。
そして何にしようかなーーーと先生とお話した。
難しくてかっこよい曲を弾きたいという希望はもはやゼロ。
譜面は簡単だけれど「美しくきれいな音」で弾くことを目標にしているから
そのような「一見難易度は低そうだけど、実は弾くとめちゃ粗が見える」という曲から選ぶしかない。
先生「シューマンの子供の情景を弾くのはどう?」
私「トロイメライとかですよねえ・・」
先生「そうそう」
私「トロイメライをアルゲリッチとかホロビッツとかが弾いてるのを聴き比べする動画をみたことあるのですが、そこに肩を並べるとなるとどうしても
気後れしてしまって・・・」
先生「・・・・・・なぜ並ぼうとする」
至極まっとうなつっこみを頂き笑って帰ってきました(笑)
娘が弾く曲が決まるとすぐ参考演奏を探す私。
アルゲリッチとかキーシン、ホロビッツなどの演奏をだしてきて
「あんたの演奏はキーシンとは程遠い!!」と
怒ることも多々あった。そりゃそうだ(笑)
でもどうせ目指すなら超一流の演奏を、そして生き様は
マエストロ・世界のオザワのように「死ぬまで音楽と共に」だ。
すぐ同じ土俵にあがろうとしがち(笑)
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