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「琥珀のまたたき」小川 洋子

♪ふ~たりのため~ せ~かいはあるの~
リアルタイムでは聞いてなかったけれど、エレクトーンを習っていた時に
原曲を知らずに弾いていて子供ながら「いい曲だ・・・」と思っていました。

子供を出産したあとの数日間、私の頭の中ではこの曲がずっと流れていました。夫も、面倒をみてくれた自分の母親までも近くに寄ってもらいたくなくて、ずっと私の赤ちゃんとどこかに隠れて二人だけで生きていきたいと
思いました。この赤ちゃんを守るためなら地下でも穴ぐらでもなんでもいいからとにかく外敵の眼に触れないように生きていきたい。
長男の時はその気持ちが割と続きました。保育所に入って色々なことが原因で子供が荒れだし、お友達に暴力を振るったり家でも癇癪を起して手が付けられないことが多々ありました。
小学校に入学するときに、他人に迷惑をかけているくせに私は「こんな大変な子供だったらいじめられるんじゃないか。とにかくそれは阻止しなければならない。そのためにはマンツーマンで見てくれるような学校がいいんじゃないか」と本気で考えました。
今なら「いやいやいやいや。自分ちの子供が他の子供に暴力振るってるからね。まずそこをきちんと謝って自分の子供とちゃんと向き合おう」と私に言ってあげたいですが「子供とふたりの世界」で生きていた私はとにかく我が子を守ることに必死。なんなら学校に通わないで家で私が勉強を教えて生活してもいいんじゃないか、ぐらいに思っていました。
近くに全校生徒10人ぐらいの学校があったのでそこに入学させることを本気で考えていたら、当時仲良くしていた近所のママ友に「ふつーの学校に行かせなよ。そんな少人数の学校に行かせたら色々大変だよ」と言われたので「そう?」と思って普通の学校に入学させました。結果的に本当にそうしてよかった・・・。

そういう学校は親の参加度合いが非常に高い。だから近所でそこに通っている人はとにかく学校に行きっぱなし。その学校を出てすごく上手くやっている子供ももちろんいるけれど中には中学校に入って急に大人数になったことにとまどいなかなか学校に行けない、という子供も少なくありませんでした。

まあそのようなことを経て、子供からは目を離すことも大切(精神的に)。子供を一生守って生きていけるわけではない。子供が自分で生きて行けるようにすることが親の役目、という風に考え方は変わっていきました。
それでも子供を産んですぐの一週間ぐらいはどうしても
♪ふ~~たり~のため~・・になってしまったのですが。

「琥珀のまたたき」
4人兄弟の一番下の妹が、ある日外で野良犬に舐められたあと(齧られたわけではない)肺炎で亡くなってしまった。お母さんはその野良犬のせいで子供が死んでしまったと思い(実際は違う)残った3人の子供を守るために
ある別荘に閉じこもって生活するようになる。
子供らは学校には行かない、どころか門から外に出てはいけないと言われる。なぜなら外には「魔犬」がいるからだ。その「魔犬」から身を守るためには名前もかえなければいけない。と言って図鑑をパッと開いて出て来たページにある名前をつけられる。お姉ちゃんは「オパール」長男は「琥珀」次男は「瑪瑙」。彼らは元の名前さえ忘れてしまうほどの長い年月、門の中でママと兄弟3人だけで暮らす。お父さんはいないけれどお父さんが残した図鑑だけが彼らの教材だ。お母さんは外に働きに行く時に「魔犬」から身を守るために大きなツルハシを持って出かけて行く。
服はお母さんが作ったものを着る、そしてみんな「小さな声でお話すること」。ママの言いつけは絶対だ。
でも服はどんどん小さくなり、毎日ママが持って行っているはずの「ツルハシ」を見つけたり小さな綻びが見えてくる・・・。
というお話。
彼らが生活しているシーンと、琥珀がもう(たぶん)おじいさんになって
施設に入り昔のことを思い出しながら、また、彼が作る「芸術品」を
隣で見せてもらえる語り手の「私」のシーンが交互に出てくる。

なんとも切ないお話だった。
一番下の子を亡くしたママはとにかく残った子供を守りたかっただけなんだろう。それが世間では「監禁」って言われるとか、子供には社会で生活する必要があるとかそのために学校に行かなければいけないとか、そんなことは
どうでもいい、というより「世界はママと残された子供たち」だけのためにあったんだと思う。ただそれだけだと思う。
正しいか正しくないか、しか答えがなかったらもちろんママのしたことは「正しくない」なんだけれど
子供らをどこかに隠してとにかく外界の眼に触れないようにして閉じ込めて
守って私とだけ生きていきたい。
そのママの気持ちをわかってしまう私は正しいのか正しくないのか。

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