★5(★★★★★) なぜ論語は「善」なのに、儒教は「悪」なのか/石平(PHP新書)(本 2019) レビュー
※)これは”チラ裏”レビューです。あまり十分な推敲もしておらず、本来はチラシの裏にでも書いて捨てるレベルの駄文ですが、ここに書いて捨てさせていただいております。この先は期待値をぐっと下げて、寛容な気持ちでお読みください。ではどうぞ。
作品名:なぜ論語は「善」なのに、儒教は「悪」なのか/石平(PHP新書)(本 2019)
評価:★5(★★★★★)
リンク:https://www.amazon.co.jp/dp/B07PZ9WNX5
本書の著者・石平と、日本の歴史研究者・井沢元彦の対談本「朱子学に毒された中国毒されなかった日本」を読み、面白かった反面、2人が痛烈に批判する朱子学の中身についてほとんど一切触れられていなかったため、朱子学の中身を少し知りたいと思って本書を手に取った。内容は期待通りで面白かった。朱子学の中身については本書でも詳しく触れられているわけではないが、朱子学の成り立ちとその中身についてほどほどに知ることができて満足している。
本書のテーマは、混同されて語られがちな以下の3つを区別し、その違いを説明することだ。
・孔子(とその言行録であるところの「論語」)
・儒教(前漢時代から「御用教学」として政治権力と一体化)
・朱子学(≒礼教。新儒教とも呼ばれる。儒教をさらに過激化したもので南宋時代に朱熹によって成立した)
朱子学と礼教が支配した明清の時代、中国は「存天理、滅人欲」というスローガンの下、「礼」という強制力のある社会規範をもって、人間性と人間的欲望を圧殺する極めて抑圧的な社会だった。そのひとつの例が、夫を亡くした女性が殉死した場合を「烈婦」、そのまま再婚せずに嫁ぎ先の家に残り夫の遺子を育てあげた場合を「節婦」として奨励する習慣である。これは、「礼教殺人」とも呼ばれる。論語に書かれた孔子の言葉は優しさと暖かさにあふれているのに対し、同じく論語と孔子を出発点とするはずの礼教は、なぜこんなにも残酷で冷たいのか。著者はこのような疑問を持つようになった。
1988年、日本に留学した著者は、保証人を引き受けてくれた日本人の家へ挨拶に行くことになった。著者は、この日の出来事が「礼とは何かを端的に教えてくれた」といい、私の本書の中で一番感銘を受けた部分であるので、少し長いが引用する。(このエピソードが好きすぎてレビュー評価を★5にした)
>今でも鮮明に覚えているが、保証人になってくださった方の家は、阪急線の石橋駅逝くの住宅街にあった。駅に着くと、親友(保証人を紹介してくれた中国人)はまず公衆電話から「今から行きます」と連絡を入れ、そして二人で歩くこと数分で、保証人の家に着いた。二階建ての普通の民家であった。ドアチャイムを押して「どうぞ」とのお返事があったので、玄関を押し開いて中に入った。玄関に入ったその瞬間、そこで目撃した光景はあまりにも衝撃的で、私はそのまま凍りついた。このお宅の初老の奥様がなんと、玄関口の床に正座して両手を床につけ、頭を深く下げて、私たちを迎えてくださったのである。
>あまりにも意外な光景に驚きながら、その瞬間、目頭が熱くなって涙がこぼれた。私が二十六歳(その当時)まで生きてきた中で、人にそれほどの礼をもって接せられ、人にそれほどの暖かさをもって迎えられたのは初めてのことだった。
>正直、保証人の方の家へ行く途中は、ずっと心細い思いであった。自分は世話になる身であり、先方は世話をするほうである。そして、そのときの自分は、社会的立場など何もない外国からの一留学生に過ぎなかった。たとえ相手が自分に対して尊大な態度をとったとしても、自分たちに冷たく接したとしても、私はそれを甘受する以外にないし、そうなっても仕方がないと覚悟を決めていた。しかし、実際の展開はあまりにも意外なものであった。保証人の奥様は、一方的にお世話になっている私たちのような外国からの留学生に対して、それほどの礼儀をもって丁重に、そして暖かく迎えてくれたのだ。もちろん、家にお邪魔しているあいだずっと、保証人とその奥様は終始一貫、親切な態度で暖かく、そしてリラックスした雰囲気で私たちに接してくださった。あたかも自分たちが大事な貴賓になったかのような思いがすると同時に、自分の家に帰ったかのような感じもした。人生で忘れ難い、楽しくて暖かなひと時であった。
>子供時代に教わった「論語」では、「礼」について語られる場面が数多くあり、人間社会にとって「礼」が非常に重要であることは何となくわかっていた。しかし残念ながら、「文化大革命」の荒れた時代の中国で育った私は、日本に来るまでは「礼」の具体的な形、「礼」とは何かをこの目で見たことは一度もなかった。ましてやこの自分が誰かに「礼」をもって接せられた覚えは一つもない。紅衛兵式の乱暴と無礼こそが、あの時代の中国の文化であり、日常であった。
>しかし、日本に来てからわずかひと月で、私は「礼」の満ちている社会の中で生きる実感を得て、「礼」が生活の一部となるとはどのようなことかを知った。保証人の家を訪れたその日、私は人生で初めて、「礼」の端的な美しさと暖かさに接することができ、本当の「礼の心」に触れた気がした。「礼」とはそれほど温もりがあって、それほど人間性に満ちているものなのかと感銘を受けたのである。
>そのときの体験はある意味で、私を「礼」というものの原点に触れさせることともなったのだが、後になって考えてみれば、私が一人の日本人のご婦人の姿から感じ取った「礼」の温もりは、子供の時代に祖父から教わった『論語』の言葉と同じような暖かさを持っていた。何だか、「論語」の言葉の深い意味、「論語」が語った「礼」というものの本質が、一人の日本人の婦人の振る舞いによって目の前に示されたような気がしたのである。
>そして日本で現れた「礼」の意味と姿は、私が故郷の四川省の梓道県で教わった礼教の「礼」の残酷さとはまるきり違っていて、まったく異質なものであることも、何となくわかった。中国の「礼」と日本の「礼」とは、「違っている」というよりも、まさに正反対である。それは、いったいどういうことか、実に不思議だった。
…なんと素敵なエピソードだろうかと感銘を受けるし、また一方で著者が言うように「礼」というものの本質を示したエピソードでもあると思う。「礼」というものは他者への思いやりから生じたものであると同時に、それが形式化することによって本来の思いやりが失われる危険もある。結局、「礼」が思いやりを表現する手段になるのか、弱者を抑圧するための手段になるのかは、それを実践する社会や人々の良心にかかっているのだと思う。
以下、備忘のために本書の内容をまとめてみた。
第一章では、「孔子および論語とは何か」が語られる。結論だけ書くと、孔子は思想家でも哲学者でもましてや聖人でもなく、現実の社会生活を穏便に送ることを常に心がけている一常識人で、論語は聖典でも経典でもなく、日常の社会生活に役立つ常識論を記した書である。
第二章では、「御用教学・儒教の成立」について語られる。前漢・武帝時代に董仲舒の手によって儒教は皇帝の地位と絶対的な権力を正当化する理論体系を構築し、政治権力と一体化して確固たる地位を築いた。理論のベースとなったのは孟子と荀子。孔子が論語で語る内容がその場限りの思いつきのようにバラバラで根本原理などはいっさい求めないのに対し、孟子の語る内容は体系的な思考体系となっており、儒学は孟子によって成立した。孟子の唱える「王道主義」も荀子の「礼治主義」も、両方とも「為政者が万民を導く」ことの必要性を説くものであるから、皇帝にとって非常に都合が良かった。董仲舒は「天人相関説」や「性三品説」というインチキ理論を生み出して皇帝の絶対的支配を正当化した。「天人相関説」は「天」は「天子」つまり皇帝を通して天下を支配するとした。「性三品説」は、天下の人々の性=性質を上中下の三種類とし、上品は生まれつきの善、下品は生まれつきの悪、中品は善悪が混ざっているとし、上品下品は生まれつきの性質で永遠不変であるが、人民の大半は中品であり教育や教化により完全な善へ向かうことができるとした。中品の人々を教化するのはもちろん皇帝である。また儒教は五経という五つの経典をでっちあげたが、これには論語は含まれていない。
第三章では朱子学(≒礼教)の成立が語られる。唐王朝の時代は、儒教・仏教・道教の「三教」がいずれも王朝から保護される「三教並立」となったため儒教の勢力は相対的に低下したが、北宋の時代に儒学者たちが儒教復興運動をはじめ、南宋の時代になると朱熹が「新儒教」と称される朱子学を打ち立てて再び権力の座に返り咲いた。朱子学が唱える理気二元論では、人間は「理(≒善)」と「気(≒悪)」によってできているとされ、人々の情や人欲を礼節と道徳によって正しく規制することが「礼教」の役割とされた。礼教のスローガンは「存天理、滅人欲」(天理を存し、人欲を滅ぼす)である。なお、朱子学は前漢以来の儒教を否定するため、五経を廃して新たに「四書」を制定した。「四書」には論語も含まれるが、著者はこれを「孔子の名を利用するためだけの悪用」だとする。朱子学・礼教は明王朝と清王朝で長く重んじられた。
第四章では日本における儒教、朱子学(礼教)が語られる。中国でも王陽明が提唱した陽明学など、朱子学に対する反発はあったが、大きな動きとはならなかった。一方で日本では徳川家康が朱子学を導入しようとしたものの、人間性を大事にし、生きる欲求を重んじる日本の風土になじまなかった。荻生徂徠や伊藤仁斎、山鹿素行など、江戸時代前期を代表する思想家はことごとく朱子学を学ぶことから学問をスタートし、学者生涯の初期段階では朱子学の信奉者だったが、後半生ではみな朱子学を否定した。特に伊藤仁斎は朱子学を「残忍酷薄」と否定する一方で論語を絶賛し、「仁」や「義」、「信」といった儒学の基本概念には「愛」があるとした。