家康の遺訓、”神君遺訓”が深かった
1.これはなに?
誰かに対して遺された言葉や作品は、その人の人生が詰まっています。
サンテグジュペリの『星の王子さま』も、目には見えない大切なメッセージをストーリーという形で子どもたちに伝えようとしています。
偉人が、子孫や家臣に向けて遺した言葉は、“遺訓” と呼ばれますが、
それらを取り上げながら、日々の学びに変えていこうというのが、
“遺訓探訪” シリーズです。
ぜひ、みなさんの解釈についてもお聞かせいただけると幸いです。
シリーズの第1回は、徳川家康の遺訓、神君遺訓(東照公卿遺訓)です。
2.徳川家康の遺訓(東照公御遺訓)
人の一生は重荷を負ひて遠き道をゆくが如し
いそぐべからず
不自由を常とおもへば不足なし
こころに望み おこらば
困窮したる時を思ひ出すべし
堪忍は無事長久の基(もとい)
いかりは敵とおもへ
勝事ばかり知りてまくる事をしらざれば
害 其の身にいたる
おのれを責めて人をせむるな
及ばざるは過ぎたるよりまされり
引用元:御遺訓|久能山東照宮について|久能山東照宮
https://www.toshogu.or.jp/about/goikun.php
意訳:
人の一生は、重荷を背負って遠い道のりをすすむようなものだ。焦ってはいけない。
不自由を当たり前だと思っていれば、なにごとにも満足できる。
欲がでてきたときは、苦しかった頃を思い出せ。
じっと耐え忍び感情を抑制することは、平穏無事に生き続ける支えである。怒りを敵と思って自律せよ。
勝つことばかりに執着して、負けたときに学ぶことができなければ、手痛いしっぺ返しをくらうことになる。
他責に陥らず、自身の至らなさを振り返るようにせよ。
何事も度を超すよりも、ほどほどの方がうまくいくものだ。
3.所感
徳川家康が遺したかは定かではない(後世の創作の疑惑がある)らしいのですが、
ホトトギスの俳句で表された、という、家康にぴったりな印象の神君遺訓。
話題の人、渋沢栄一の『論語と算盤』で取り上げられていました。
堪忍は無事長久の基(もとい) いかりは敵とおもへ
とくに、上記は味わい深い一節です。
織田信長や豊臣秀吉と比較して、静なる人のイメージがある家康ですが、
じつはもとは非常に短気な性格であったということが記録に残されています。
武田信玄に大敗を喫した三方ヶ原の戦い(※👇のしかみ像で有名。)は、
もとをただせば、家康が武田信玄の進軍を挑発ととらえ、立て籠っていた城から出てしまったのが発端。
兵力差は歴然だったため、冷静に考えればとるはずのない、あるいはとってはいけない選択を、激情したがゆえにしてしまったわけです。
その経験を深く反省した家康は、その後、冷静沈着な性格を獲得し、
を説くわけです。
僕個人としても、短気な性格をのぞかせてしまうこともしばしばで、修行が足りないのですが、
あの家康も、それをよからぬことと反省し、自律したのだと考えると、
自分なんかは一層意識して行動をしなければいけないと思わされました。
4.さいごに
改めてですが、“遺訓探訪” シリーズは、人間修養中の身である自分としても、学んでいく意識で取り上げていきます。
ぜひ、みなさんの解釈についてもお聞かせいただけると勉強になります。
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