凹の美学
昔から、自分は何か欠けている…そう思って、気づいたら46になっていた。凹というフォルムにも何か親近感と共感を覚える。凹を克服しようとしてきた努力。凹を隠すようにしてきた努力。それをよしと思ってきた。
とにかく忘れ物が多い僕。東の横綱には携帯、西の横綱には車のカギ。人生の中で、探している時間が20%くらいあるのだろうかと思ったほど。ある時は、車を忘れ、ある時は妻を忘れた。幸い離婚届けは出されずに、今に至るが、昔はそんな自分を否定することも多かった。同時にいくつものことができないようだ。
ラポールを創業して17年目。大好きな仲間たちに囲まれて、自分をさらけ出せ、忘れ物チェックまでしてくれる今。「財布大丈夫?携帯は?」ある時などは、お店のバックヤードの出入り口に「忘れ物チェックリスト」の張り紙までしてくれていた。いつまでたっても、子供だなとしみじみ思う。同時に愛する仲間に囲まれている安心感。
そんな中、昨年の夏、インターンシップで出逢った学生との対話の中で、たくさんの発見があった。未解決の感情がポストに残ったままで、自然と不本意な現実を繰り返してしまう学生たち。友達とのけんかで感じた自分の無価値さ、両親の喧嘩のはざまの無力感、大切な人を守れなかったことへの責任、人と違うことで無理に装う違和感、様々な心の疲れ。
そこに気づけば、人は前へ進める。ただ、そこにあることを自らが認め、受け入れる。「ありのまま」という言葉に共感を覚えるのは、ここ。今、自分の中にあるものを「ただある」って認めるだけ。
痛みのワークなる対話を通して、一人一人の表情が変わっていく様を見たとき、今まで味わったことのない新たな感動を覚えた。そこで、就活中の学生に向けて、自由気ままに発信してみたい、そんな思いに駆られて、等身大のありのままの自分をここnoteに記したいと思うようになった。
3日坊主になるかもしれないけど(笑)出逢った学生との対話を通して、今のありのままの自分の感情と向き合いたい。そして就活生に向けそれを記していきたい。
目次
凹 のめりこみと忘れ物
凹 国道2号線の悪夢
凹 心躍るスターバックス1勝4敗
凹 ラポール創業
凹 のめりこみと忘れ物
小学校2年生の通知表にこう書いてあった。「忘れ物が大変多いです」大学時代ハンドボールにのめりこみ、頭の中はそればかり。忘れ物もひどかった…遠征の際はインターで待ち合わせたはずの後輩も忘れてきた。坂本ごめん
広大教育学部の体育専攻では、授業に行かなさ過ぎて、学校の先生には卒業の際にも覚えてもらえなかった始末…。ハンドボール部では、自分たちが練習メニューを立て、遠征も他の大学と交渉し企画。インカレ目指して、のめりこむように毎日を過ごしていた。あの蒸し暑い西体育館に立ち込める汗臭さが懐かしい。
人生初めてのリーダー、キャプテンを経験し、チームプレイの面白さと難しさを味わった。一生の仲間とも出逢い、仲間を大切にするという今の土台となる価値観を教えてくれた。
同時に、勝つために実力主義で、いくら熱意があってもチームの勝利に貢献できなければ、試合には出すことができない厳しさ、しかしながらレギュラーもベンチもマネージャーも、OBも、一体となり、大目標に臨む楽しさを学生時代には存分に味わった。
凹 国道2号線の悪夢
僕は完全出遅れの就職活動。就活でアドバイスできることなんて何もない。ゲートが開いたことも気づかずに、ハンドボールにのめりこみ、インカレも終わったのが大学4年の夏が閉じるころ。周りはすでにゴールイン。のめりこんだハンドボール生活が幕を閉じると同時に、嫌でも向き合わなくてはいけないこれからの未来。
調べてもほとんど開催されていない合同就職説明会。そんな中、バイトばかりしていた僕が、ある時未来を強烈に意識し考えるようになったのは、あの国道2号線の悪夢から。東広島市から広島市内に通じる国道2号線。超渋滞、できればピークには避けて通りたい道路。携帯ショップのバイトで広島市内まで向かわなくてはならず、朝のピークを車で走っていた時、その悪夢がやってきた。
大渋滞の2車線。向いから様々な会社員の顔が飛び込んできた。通勤ラッシュだ。どんな顔をしてみんな仕事に向かっているんだろう…ふと対向車のドライバーに目をやると信じられない光景が飛び込む。しんどそうで覇気がなく、顔が疲れきっている…たまたまかと思い、次の車に目をやっても、その次もその次も変わることはない。
衝撃を受けた。
一体どこに行くんだろう…会社っていったいどんなところなんだろう…自分の未来、働くということを強烈に意識した瞬間だった。そのバイト先からもある日突然「もう明日から来なくていいよ」あっけない幕切れに社会の厳しさも知った。
仕事に行くときに楽しみで仕方ない…そう感じるような仕事の仕方がしたい。就活というより人生の自分なりのテーマが定まった。あなたの未来、どんな顔して出勤している自分が見える?その表情を、いつかあなたの子供が見たとき、どう思うだろうか?あの国道2号線の悪夢が忘れられない。
凹 心躍るスターバックス1勝4敗
卒業後、フリーターをしていたころ。久々に会う社会人になった同級生たちとの会話。給料、初賞与…なんだか眩しく聞こえ、比べて今の自分は…と落ち込むことも多かった。やりたいことがなかなか見つからない…同級生たちの、先輩社員や会社に対しての1年目からの愚痴を聞くと、違和感を覚えつつも、今の自分の状況を考えると、何も言えないあの頃。
実家の喫茶店を手伝いながら、いろんな本を読みふける日々。「自分には何が向いているんだろう?」「自分は何がやりたいんだろう?」「大学まで卒業させてもらって何してんだろう?」あるとき、喫茶店で働いているとき、気づいたことがあった。毎朝、決まった時間に来店され、決まったテーブルで決まったモーニングを食べ、決まった時間に会計を済ませお店を出る人々。
その人の1日のスケジュールの一部に組み込まれている。つまりは、「人生に組み込まれている時間」その人の一部といってもよい。なんか面白いな。そんな時、出逢った1冊の本、ハワードシュルツ著者「スターバックス成功物語」この本との出逢いが運命を変えた。人生の岐路は一瞬。飛び込んできたキーワードは、「ピープルビジネス」国道2号線の悪夢から約2年。その夢の続きは「ピープルビジネス」へとつながった。
まだ日本に進出し50店舗だった頃、愛媛では誰も知らなかった。オートバックス?とよく間違えられた。関西1号店のHEP FIVE店に一人ですぐさま出かけた。ワクワクし高まる鼓動が抑えられず、お店の前に到着すると30人近くが行列をなしていた。初めてのスターバックスエクスペリエンスを今でも鮮明に覚えている。黒のタートルネックを来て緑のエプロンを付けた美人な女性パートナーたちが、てきぱきと列のオーダーをとり、笑顔で働いている。客席には外国人のお客さんが半分近くおり、パートナーは英語で接客をしている。
見たこともないラテやモカ、フラペチーノ・・・・20分くらい考えたが、結局頼んだのはドリップコーヒートールサイズで。客席でコーヒーを飲みながら、まるで映画のワンシーンを見るかのように、バリスタたちが会話を楽しみ、コーヒーを提供している姿に、感動せずにはいられなかった。シュルツさんが書いてあるピープルビジネスは本物だった。
「決めた!ここで店長する!」
悪夢から2年後の出来事。本気の就活の始まりでもあり、終わりでもあった。一つのことが定まれば、のめりこむように突き進む。早速エントリーシートを何十回と書き直し、投函。あっけなく不採用。当時、新卒枠に殺到し倍率数百倍と聞いたが、諦めるわけにはいかない。新卒→第2新卒→中途枠とチャレンジするもすべて不採用。
神戸にできたスタバに、アルバイトからと応募するも、これまた不採用。「あまりスタバの雰囲気に合ってない」面接官にそう言われたこともあった。そして諦めきれずに、当時の角田社長に長々と3枚くらいの手紙を書いた。今振り返ると、本当に暑苦しい若者だったろうなと思う。
そして、電話が鳴った。「アルバイトの面接に来られませんか?池袋明治通り店と内幸町とありますが、どちらにされますか?」
うちさいわいちょう?
池袋、なんか大きな街で、ミーハーな自分は即決。「じゃ、池袋で」人生の岐路は一瞬の決断。
千駄ヶ谷の本社へ続く下り坂を面接2時間前に一人向かう。ワクワクと緊張。本社ビルの向かいにある同じ系列のアフタヌーンティーで時間をつぶし、いざ!出逢ったのは、ニッコリ笑顔で迎えてくれたボス。5回目ということもあり、気合が入っていた僕は、出逢った瞬間拍子抜けした。
「いつから来れるの?」笑顔で質問され、「す・すぐ引越しします。」一瞬で採用が決まった。その先、ボスには店長にも推薦してもらい8年間を共に過ごすことになる。千駄ヶ谷の駅へと続く上り坂を、緊張の緩和と共に吐き気を感じながらも、飛び跳ねるように登って行った。それから8年間。のめりこむように仕事をした。きっと毎朝いい顔して出勤していたと思う。
凹 ラポール創業
ある時、カフェを経営する父親から呼ばれ東京で会うことになった。飛行機嫌いの父がわざわざ東京まで…そろそろ戻る頃かと考えていた時。創業10年になる喫茶店をリニューアルしようと思う。1Fにケーキ屋2Fに喫茶。こじんまりとケーキ屋を併設するか、ドーンとするか?どう思う?
何気なしにドーンとすれば?と答えると、見ると5階建てのマンションが建ち、1F2F合わせて100坪を超える店舗が出来上がっていた。人生の岐路は一瞬で決まる。そこからの5年間は、僕の人生で最も色濃く、人生や商売で大切なことを学ぶ時間となった。うまくいかないことの連続で、初めてのことばかり。
先に商売を始めていた弟二人と両親と過ごした、必死な毎日。よく笑い、よく喧嘩し、悔し涙を流し、毎日を必死に過ごした。そんなどん底の時、妻と出逢い、今の幹部社員さんたちと出逢うことになる。店舗が増えるも、悩みごとは尽きず、毎日問題の連続。人は辞めていき、自分の力のなさを痛感する日々。
鎧をまとっていた創業期。スタバで修業したという自負。オープン売上世界一という実績へのおごり。人を大切にするという経営からは程遠かったと思う。ここからたくさんの出逢いを通して、人生の岐路の一瞬を経験していくのだが、まずは学生時代から就職・創業という視点での自己紹介をここで閉じたい。
学生の皆さん、今やりたいことが見つからなくても、何度も志望した会社から不採用通知が届いたとしても、自分に何が向いているんだろうと悩む日も、誰かと比べることなく、自分の湧き上がる感情を大切にしてほしい。痛みの裏側は、あなたが強く願っていることだから。強い痛みは、強い願いだから。その痛みを、ポストに入れたままにせずに、取り出してあげてほしい。自分自身からの大切なメッセージだから。
凹だから見える世界がある。□でも凹から見ると秀でているところがたくさんあることに気づく。ましてや凸なら、なおさらだ。僕はただありのままの自分でそこに存在しているだけで、周囲に安心安全の場がひとりでにできていく、そんな人生にしたい。そこにたくさんの自分らしい華が咲いてほしい。そんなグループが夢だ。
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