何気ない瞬間に価値を持たせてくれるもの
写真との出会い
記憶の中で厚手のコートを着ていたことと、吐く息が白かったことから冬だったのだろう。
小学校高学年の筆者は、遠方に住む祖父と2人で大きな公園を訪れた。
入場ゲートを過ぎてすぐ、使い捨てカメラを渡された。
当カメラは「写ルンです」といい、富士フイルムが1986年に発売した使い捨てカメラのブランド名を指す。あらかじめフィルムが装着されていて、購入後すぐの撮影が可能だ。
操作はいたってシンプルで、被写体をレンズにおさめ、シャッターボタンを押すだけ。
操作の容易さに本体重量の軽さも相まって、玩具のようでもあった。
「沙奈の好きに撮り。記念じゃけ」
言われるがまま、大好きな祖父にレンズを向けると、よく焼けた頬をうっすら染めて祖父は笑った。自分はいいからとカメラを受け取り、広島国体のマスコット「咲ちゃん」の隣に筆者を立たせてシャッターを切った。
その後、写真を現像し、受け取ったのはしばらく経ってからだ。
受け取った横長の封筒を開けると、白濁色のビニールから中の写真が透けて見える。こんな写真、撮ったろうかと思いながら開封し、思わずため息が漏れた。
1枚目に写っていたのは、ダボダボなコートに着られ、恥ずかしそうにこちらを見る筆者であった。
写真の魔力
唐突だが、写真には魔力がある。
ここでいう魔力とは、直感的に人を引きつける力や、説明が困難なレベルの魅力を指す。決して魔法や呪術に関するアレではない。
下記に、写真がもつ魔力について掘り下げる。
瞬間を保存する力
写真は、一瞬を永久に留めることを叶えるツールだ。
人の記憶は時間とともに薄れ、変化するが、写真はその瞬間をそのまま留めることができ、記憶の劣化を防ぐことができる。特定の写真を見返すことで、忘れかけていた出来事や当時の感情が鮮明に蘇り、その瞬間を強く思い出すことができる。
普段の生活では特に意識しない瞬間も、写真は特別なものにしてくれる。何気ない日常の一コマ、特定の出来事を写真に収めることで、その瞬間が価値ある記録となり、振り返った際にひときわ重要な意味を持つこともある。
例えば、家族の笑顔や友人との食事風景、散歩中の景色など、時を経てかけがえのないものになる瞬間は数え切れない。
感情を引き出す力
写真は、人物の表情や行動、場の雰囲気を通じ、見る人の感情を促す。
例えば、喜びに満ちた笑顔の写真は、見る人も心が温かくなるのに対し、悲しい表情や事故の写真は、見る人の胸を締め付けることもある。
被写体により個人的な記憶が呼び起こされることもあり、その時の出来事、経験した感情が蘇り、懐かしさや幸福感、切なさといった感情が沸き起こることもある。写真は記憶の引き金となり、見る人に過去の感情を再体験させる力を持っている。
思考を促す力
写真は一瞬を切り取ったものであり、前後のストーリーは見る人の想像に委ねられる。1枚の写真がどのような背景・経緯を持つのか、写真の後に何が起こるのかは見る人次第だ。
未完成の物語は見る人の思考を促し、想像力を広げる起爆剤となる。
また、写真は全体的な構図だけでなく、細かなディティールまで含む。
例えば、背景に写る人の表情、光の当たり方など、細部に注意を向けることで写真の中にある見えない部分を想像で補完することがある。これにより、見る人は写真から多層的な物語を読取り、自分なりのストーリーを作り上げるのである。
写真が好きな理由
筆者は、写真が好きだ。
撮影するのも、見るのも好きだが、専門的な知識は全くない。
撮影の瞬間、その1枚に自分の視点や感性を反映させ、自分だけの世界を切り取ることができる。今この瞬間を自分だけのものにする喜びを感じさせてくれる。これこそ撮影が好きな理由である。
一方で、撮影した写真を見るときには、その瞬間の再体験に加えて撮影時に見逃した物事に気づくチャンスでもある。これにより記憶が上書きされ、新たな感情を味わえるのも醍醐味だろう。
これらを踏まえた結果、筆者にとっての写真とは、自己対話なのだと思う。
そして、自分の感情を正しく理解できるのはいつも、それが過ぎ去ってからだとも。