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植え替えの季節
わたしは、ひところ三無主義と呼ばれた世代に属している。大学に入ったのが七九年で、そろそろ「あのころはよかったなあ。」というつぶやきと同時に、「君たちには、社会に対する問題意識が欠けている。」という批判を先輩たちから、いただいた世代である。
熱い学生運動のうねりに参加しなかったわたしの世代に、あるものはとうとうと伝説を語り、あるものは冷ややかなニヒルを演じた。そのときわたしは自分の家族を思い出した。 祖父母の代は、戦争で家屋も含め、多くの物を焼失していた。両親は青春時代を戦時下の窮乏生活に費やしていた。家族の間に、「あの戦争さえなければ::。」というためいきと、「あんたらの世代は物の大事さを知らん。」という批判があった。 わたしの世代は、常に過去に根づいた願望を背負わされていたようだ。思う通りにならなかったことを何かのせいにして。そして自分と同じ境遇に置かれたことのない者への嫉妬を含んで。
こうして繰り返される人の心の動き自体をわたしは批判する資格はない。こうやって今ここに書き付けること自体が、同じ心の動きによってもたらされているからだ。
ただこれだけは言っておきたい。 過去を振り返り、批判することは現在を確かにするのに欠かせないが、もう一方の願望は決して過去に根を張ってはいけないのである。過去に根を張った願望は、現在の人の心を養分に成長し、はちきれんばかりに根づまりをおこす。伸びることのできない枝は人の心と身体を傷つけ、むしばんでゆく。枝葉の先に花を開かせるために、過去に根づいた願望を引っこ抜いて、今立つ地面に植え替えよう。まだ遅くはない、植え替えの季節は今だ。(現代美術作家)
©松井智惠
2022年5月30日改訂 1994年11月25日 讀賣新聞夕刊『潮音風声』掲載