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あの頃は忘れたわ


 「あの頃はよかったね」。性別や年齢にかかわりなくつぶやかれる声を聞くことがあるでしょう。でもそれは、いつのこと?

 文章を書いている自分の指先に目がとまった。マニキュアの塗膜が乱雑に剥げている。あまりにも中途半端な、この状態をどう名付けたらよいものかと、想う。名付けようのない状態、つまり「あの頃」に何処かつながっている。使い込んだ味わいのあるものではないし、ましてや塗り、重ね、剥がしての繰り返しによる絵のマチエールにもならない。もっと暴力的に放置された時間。
 土台は、日々伸び続けるからだの一部。マニキュアの塗膜は確実に動く爪に引っ張られ、爪先と付け根はぐしゃぐしゃだ。蛹を破って止まったまま、成虫になれず絶えた果てる寸前の昆虫を想像してしまう。
 名付けるまい、この状態のマニキュアを。即座に拭わなければと気持ちが焦る。いつ塗ったのか、それさえ忘れていたのだから。はっきりとわかりたくないことが見えた。とどのつまり、わたしがグロテスクなのだ。
 除光液の蓋をあけて、コットンに有機溶剤のアセトンを含ませる。毒性を隠す香料の匂いとドライアイスのような冷たさが爪を貫くと、わたしの爪は、忘れ去られた時間ごと見事に拭われていた。
 今日の色を塗ろう。明るい青の瓶と濃い青の瓶を、わたしは選んだ。二つの青を重ねて塗る。透明色で仕上げると今日の空色だ。やっと届いた光のいたずらが、いとおしい。あの頃はよかったかもしれないね。でも、いつだったかさえ忘れてしまったあの頃は、ずっと蛹の殻をつけたまま放置され続けられるグロテスクな時間。蛹の殻からでて全身をうちふるわせる成虫になれば空へ届くよ、わたしはあの頃は忘れたわ。

2021年2月18日改訂

初出2004年4月2日(金曜日)毎日新聞夕刊7頁「風の響き」

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