感想:映画『リープ・イヤー うるう年のプロポーズ』 「幸せになれ」という脅迫
【製作:アメリカ合衆国、アイルランド 2010年公開】
米国でインテリアコーディネーターの仕事をするアンナは、恋人である心臓外科医のジェレミーがなかなかプロポーズをしないことにやきもきしていた。
そんな中、ジェレミーはアイルランド・ダブリンへ学会出張に行くことに。ダブリンに、「2月29日だけ女性から男性にプロポーズできる」という言い伝えがあると知ったアンナは、それを実行すべく彼を追ってアイルランドに発つ。
しかし、悪天候のトラブルで、たどり着いたのはアイルランドの田舎町。2月29日に間に合うよう、現地のパブ店主・デクランを伴ってダブリンを目指すが……
ロマンティックコメディ/スクリューボール・コメディとロードムービーを掛け合わせたような作品。
アンナは自分で働いてブランド品を買い、さらに高収入の男性をパートナーにすることを望む、いわゆる「赤文字系」のキャリアウーマン。一方デクランはおんぼろの車に乗り、パブの抵当権を握られてお金に苦労している。
ふたりの立場や金銭への価値観の差、最初は気が合わずケンカばかり……という点も含め、『或る夜の出来事』を思わせる作品だった。
本作は物神崇拝への批判というテーマがあり、都会でモノや消費に執着していたアンナが、アイルランドの大自然や人々との交流を経て翻意するという筋書きである。
ハイブランドの結婚指輪を手に跪かれることを夢見て、放牧牛に道を塞がれるような一本道でもハイヒールを履き、ルイ・ヴィトンのスーツケースを肌身離さず持つ彼女に対し、デクランはルイ・ヴィトンの存在すら知らない。充電ができないため携帯も使えず、自分が信じてきたモノの価値が通用しない旅路で、アンナの価値観は揺れることになる。
本作は2010年の作品で、「周りに自分がどう見えるか」を過度に重視するSNS社会への批判も含んでいる。(ジェレミーがプロポーズ時の動画のFacebook投稿を企図するシーン)
アンナとデクランの会話の中で出てくる、「自宅で火災が発生し、60秒だけ猶予があるとき、何を持って逃げる?」という問いは反物神崇拝の核を占める。アンナはわざと火災報知器を作動させてジェレミーを試し、彼がアンナの心配よりも先にPCをはじめとした自分の身の回りのものをかき集めたことに失望して彼の元を去る。
ただ、アンナが二の次になったことはともかく、モノを重視することそのものについては現代ではやや仕方のないことでは……という気がした。金銭、身分証明、思考や行動、人間関係など、人が生きる上で必要な事柄の多くは財布(の中身)とスマートフォン・PCが担っているし、記憶やアイデンティティを身ひとつで担保できる人間はおそらく存在しないと思う。
(アンナのステータス志向は、自営業で次々に新しいことに手を出した父親の借金を自らがアルバイトで働くことで返済した経験からくると語られ、物神崇拝にも重層性が与えられてはいるものの、この点についてはその後描かれることなく、彼女はアイルランドでの暮らしを選ぶ)
また、米国の環境でも、アイルランドでの旅でも、社会的に「男女が結婚すること」の重要性がしきりに説かれることが示される。(アイルランド共同制作でロケ撮影も行っているにもかかわらず、同国を極端に美化していないのは良いところだと思う)
未だ迷信や既存の価値観が強く残るアイルランドでは、民宿が未婚の男女を泊めることを拒否する。本作の発端である「閏日にのみ女性からプロポーズできる」という言い伝えそのものが、プロポーズは男性からするものという固定観念や結婚制度を前提とした関係に基づくものであり、前時代的だ。
一方でアンナとジェレミーが入居を希望する高級マンションでも、審査でふたりの職業やステータスがチェックされ、結婚していることを入居の条件として求められる。
本作はこうした結婚制度やロマンティックラブイデオロギーを一定程度相対化しつつも、最終的にはそのシステムに則ったハッピーエンドを迎える作品である。
アイルランドの人物は、目の前を黒猫が横切るのは不吉の予兆、特定の曜日には旅に出てはならないなど、数々の言い伝えを口にするが、それらはこの物語ではそれほど意味を持たない(短期的には予知的なものもあるが、最終的には裏切られる)
アンナもうるう年の言い伝えにこだわらず、3月以降に自らデクランにプロポーズしに行く。
米国のステータス主義もアイルランドの言い伝えもどちらも「迷信」であり、自分達が結婚したいから結婚するのだ、という構図と解釈できるものの、それでも「男女の結婚=幸せ」という強迫的な価値観からはあまり逃れられていないように見えた(最終的にプロポーズを仕切り直してデクランから求婚する体裁にしているのも、既存の価値観に与した印象だった)
アンナの序盤の言動がかなり横暴で、それに応じて次々にトラブルが起こる様からもスクリューボール・コメディを参照していることが窺えた。
アンナ役のエイミー・アダムスはうまくいかない現実を突き進む、良くも悪くもエネルギッシュな人を演じるのが上手いなぁと思う。