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読書を始める前。

私が本を読み漁るようになったのは10年前。

両親が他界した後、彼らの借金が立て続けに見つかった時からです。

15年前に家業の雑貨屋があまり上手くいっておらず、私に東京から帰ってきて助けて欲しいと父親から連絡がありました。

実際に借金がいくらあるかは言葉を濁されてましたが時折あまりよろしくない会社から父や母に向けて厳しい口調の電話があり、
こういった所から借りていたという事は相当な金額だったのだと思います。

毎月給料の8割近くを家に入れ、残りをガソリン等の交通費や会社での昼飯に当ててました。
そんな生活が3年ほど続いたある日、母が倒れたと会社帰りに父から連絡がありました。

母は生まれつき腎臓が弱くあまり長くは生きられないと産まれた時にお医者さんに告げられたそうです。

実家の家業の事もあり支払いにも困っていて、やむに止まれず、当時はまだあった民間の貸付に手を出してしまいました。
父にも黙っていたみたいで、それの支払いが間に合わない時は別の場所から借り入れて自転車操業に陥ってしまっていました。
そして焦って支払いに行こうと車を走らせ単独事故を起こしたそうです。

その日を境に母はおかしくなりました。

重度の統合失調症

私が東京から仕事を辞めて帰って来た時、私を従兄弟が化けた偽物と言って動物を追い払うような叫びを上げてきました。

病院に連れて行こうとしても大声で叫びながら暴れ出し、とても手に負えません。

そんな母がとうとう倒れ病院に運ばれましたが、
あまり長くはないと医師から告げられました。

とりあえず夜も遅いし入院の準備もあるという事で私だけ母のもとに残り解散となりました。

ひどい後悔に襲われながら母を見守っていましたが、
深夜2時を周ったあたりで流石に疲れが出てしまい私も帰途につきました。

その1時間もしない内に病院から連絡が入りました。 


母が亡くなったと。


嗚咽しながら泣くという事を生まれて初めて経験しました。
もっと何か方法が絶対あったはずなのに、それから目を逸らしてしまっていた。

借金が無くなったらお母さんは良くなって、また昔みたいに美味しいオムライスやハンバーグを作ってくれる。

そんなフワフワとした思いを持ちながら、ただ返済を理由に助けられる方法を探さなかった。

10年近く経ってもいまだに悔恨の念に襲われます。

母を看取りに病院にもどり、その後落ち着いたあたりで父に借金の話を聞きました。

もう何も無いよな?と。

父は私が先日肩代わりした200万以外にはもう無いと言いました。

肩代わりした借金とは先日父に頼まれたもので、
実家を抵当に入れているので払えなければ家を出て行かなければならないと言われました。

当然そんなお金持っている訳もなく、私は妹や友人、銀行のフリーローン等を片っ端から頼み一ヶ月以内にかき集めました。

毎月給料をほとんど入れていてまだあるのかとうんざりしましたが、これで終わりと父が言ったのでそれを信じて無茶な借り入れをしました。

その後母の葬儀が終わり、しばらくして今度は父の様子がおかしくなりました。

随分とお腹の具合が悪そうにしてましたが、ある日仕事に来ていないのを不審に思った職場の方が家を訪れると今度は父が倒れていたそうです。

私はいつも早朝5時前には出勤していたので気が付きませんでした。

その後、病院から戻った父より告げられます。

胃に黒いものがだいぶできている、と。

いまだに当時を思い出すと、

人生の試練とやらはこんな一度に訪れるものなのかと何とも言えない気持ちになります。

次回は
父の癌とまた見つかった借金で。

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