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50_「わたしがこれらのことを…話すのは、主なる神が…授けられる祝福のことで…喜びを味わ〔う〕…ようにするためである。」(2ニーファイ9:3)
ジェフリー・R・ホランド長老はヤコブの記録に言及し、わたしたちがイエス様とその贖罪を中心に生活するならば 自分とそれに続く子孫に大きな祝福と喜びをもたらすことができると語っておられます。 それでは、ヤコブはイエス様の贖罪についてどのような記録を残しているのでしょうか? 以下は、ヤコブがイザヤの言葉を引用しながら「贖い」について語った言葉です。(9章の前半です) D・トッド・クリストファーソン長老は, わたしたち人類にとってイエス様の「贖い」がいかに大切かを次のように語
49_「主はシオンを慰め、すべてその荒れた所を慰められる。主はその荒れ野をエデンのようにし、その砂漠を主の園のようにされる。そこには喜びと楽しみがあり、感謝と歌声がある。」(2ニーファイ8:3)
ソルトレイクシティのダウンタウンから15分くらいのところに「ディス・イズ・ザ・プレイス・ヘリテージ・パーク」があります。ここは、1847年にブリガム・ヤング大管長が、開拓者の一団を山の頂に導いて、その上から当時はまだ荒れ野であったソルトレークの盆地に臨んでこの聖句を語り、その将来を予言されたところです。公園の展望台からソルトレークの街並みを見ると確かにこの予言が成就しているということを思わずにはいられません。 インスティテュートの生徒用教材には次のような記事があります。
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47_「わたしヤコブは、これらの言葉について少し話したい。…主は、そのエルサレムにいた人々がすでに殺され、また囚われの身となって連れ去られたことを、わたしに示された。しかしながら、主は、彼らが再び帰って来ることをわたしに示してくださった…」(2ニーファイ6:8-9)
ヤコブは、ここで、エルサレムにいるユダヤ人は主に背を向けたために、ある者は殺され、またある者は囚われの身になって連れ去られたことを主によって示された、と記録しています。これは、リーハイやエレミヤ,またほかの預言者たちが預言していたことですが、実際に、紀元前 587年頃に起こったバビロニア王国のエルサレムの征服、そして、多くのユダヤ人が連れ去られたバビロン捕囚として成就しています。しかし、ヤコブが主によって示された通り、その後、バビロニア王国に連れ去られたユダヤ人の子孫たちは,