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ちょっと休憩、雑多コラム

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訪問看護師ではなく、私として・母として・妻として・親にとっての子どもとして・人としての話。
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#親子

こどもの未来は、おとなの今。 ~2年前の手紙~

『二十歳の集い』の朝は早い。 早朝、着付けのサロンまで娘を送り届け、ようやく一息。 コーヒーを飲みながら急に思い出した。 2年前、娘が私にくれた手紙。。 当時娘は高校3年生。18歳。 獣医学科への進学を決め、もうすぐ卒業式という頃。 『春が来ました・・』で始まる手紙。 思い返せば、 仕事も3人の子育ても、決して楽しい事ばかりではなかった。 「小さいこどもを保育園に預けてかわいそう。」心無い言葉も浴びた。 「もしかしたら自分のわがままで、子どもに負担をかけているのでは」と

娘のアルコールデビュー

20歳になった娘は、初めて友人宅で家呑みをし、昨夜は夜遅く帰宅した。 2年前、コロナ禍の中の大学受験。 1年前、オンライン授業がメインの大学生活。サークルはほとんど活動なし。 飲み会も、打ち上げも、サークル活動もほぼ無縁の1年だった。 2年生になって、ようやく対面授業に切り替わった。 口頭試問が終わったら、友人たちと「夕飯を一緒に食べよう」ということになったらしい。 「お母さん、私、20歳になったから、アルコール飲んでも良いんだよね?」 娘が出かける前に言った言葉は

「お母さん、私、覚悟できたよ。」

「お母さん、私、覚悟できたよ。」 娘の答えは、即答だった。 そして、その言葉は明快で迷いがなかった。 いや、むしろ覚悟ができていないのは、私の方だった。 しない方がいい理由。 選ばないことでの利点。 安全安心な道を歩いて欲しい。 そんなことばかり、思いつく限り探していた。 「とてもいい考えだけれど、大丈夫だろうか。」 「もう少し、良く考えた方が良いのでは。」 「チャレンジも必要だけど、確実なところを目指した方が安全では…。」 ー心配だからー ー幸せになってほしいからー

遅ればせながら、自己紹介。

「思い立ったら書く」というスタイルで、noteを始めてから2年が経ちました。コロナ禍になってからは、訪問看護師という仕事がら、多忙なせいもありマメな投稿はできませんが、これからも心の中にふっと浮かんだ思いを書き綴っていきたいと思います。 ということで、遅ればせながら、自己紹介とnoteの紹介をしたいと思います。 1.わたしについて人生100年時代の1/2が過ぎ、関西人ですが、関東暮らしの方が長くなりました。 関西弁も関東弁も話せるバイリンガル。 独身時代は250ccライダー

「お母さん、私ね、『何でもそこそこ出来る』ってことは、何の特技も無いってことなんだよね。」

春から高校2年の長女は迷走中である。 長女はさほど苦労しなくても、何でも器用にこなしてしまうタイプだ。 勉強も運動もそこそこやってのける。 絵が得意で油絵も高校1年の夏まで習っていた。(私が時々noteに挙げる絵は長女の作品です) 書道も作品を出品すると何か賞を頂く程度の腕前だ。 吹奏楽部でパーカッションをやっていて、ドラムなんかも叩いてしまう。 行事の際の○○委員なんかも手を抜かずに頑張るタイプ。動物が好き。 私が、長女の特技と思われることを色々挙げても、 彼女が言うに

「お母さん、俺、『夢は何ですか?』と聴かれても、夢なんかないわ。」

今回は私の3番目こども、次男の話。 4月から中学3年になる次男は、この頃、表情がさえない。 塾から帰宅し夜遅い1人夕飯を食べている時、斜め向かいに座って新聞を読みながらコーヒーを飲んでいる私に向かって、急に話しだした。 中学校で、中学3年生・高校受験を迎えるにあたっての学年集会があったそうだ。 先生から、 「高校は、皆さんの将来の夢を叶える途中の過程です。皆さんの将来の夢は何ですか?」 そう言って、記入用紙を渡されたそうだ。 息子は困って、先生に 「僕は夢がありません。」