話すは「放つ」こと
話すことは「放つ」こと。ZaPASSで学んだこと。
人の感情は生もの。話すこと、つまり外に放つことをしないと、滞っていく。詰まっていく。そして腐る。
この言葉を思い出して、改めて、うまく伝える必要なんて気にしなくていいから、とりあえず感じているもの、溢れ出てくるものを言葉にして出していく。話す。それが全ての始まりだな。そんな大切なことに気づかされた。
それも含め、僕自身、文字上ではありますが、ZaPASSで学ぶ中で率直に感じていたことをここで一つ正直に放っていこう。
ZaPASS5期生として学んでみて。
正直、居心地がいいとは言い切れなかった。
同期の中の人にも合う合わないは存在していた。
5期生の皆さんはお兄さんお姉さんが多くて。(というか、みんなそうなのか・・??)
それぞれが素敵な個性を持った人たち。
それぞれ素敵な個性を持つということはつまり、いろんな価値観が存在する。
回を重ねるたびに心理的安全性が高まる中で、より個々がそれぞれの価値観を表現するようになっていって。
合う人の話を聴くと、「あーーーめっちゃわかる・・好き・・」ってなるんだけど、(みんな好きなんだけどね)
価値観が違うというか、
自分が放った価値観に対して「異なる」あるいは「反対」のニュアンスを受け取った時に
「いらっ」「ぞわっ」
としてしまう自分がいる。
それとともに回を重ねるごとに、「否定されるのが怖い」「居心地が悪い」という気持ちがどんどん膨れ上がり、話しにくくなっちゃって。
正直このままstep upに心から進みたい。そう思える状態じゃないのかもしれない。
でも、この状態を自分で自覚した時に「あ、自分と違った個性を持つ、相手の存在を自分はまだ受容できていないのかもしれないな。」そう思った。
これって今自分が特訓している「感情に感情で返さない」つまり「何か相手から嫌な感情を受け取ったときに自分もネガティブな感情で返さない」に近くて。
これから生きていく中でいろんな価値観を持った人たちと出会っていく。異なる価値観の人とも出会っていく。
そうなった時に、ネガティブな感情だけを持って、その人が敵!嫌なやつ!というような感情に全てを支配されるんじゃなくて、「そういう価値観、個性を持った人もいるよね。」という意識を持ってみる。
すこーしずつ、ほんとにすこーしずつだけど、「いらっ」とか「ぞわっ」って感情を感じた時に、「敵!!」とか「この人きらい!」とかではなく、「そうか。そういう視点もあるのか。面白い!」という気持ちで、受け入れてみる。
まさに面白がるってことなのかな。
こうやって今、感じていたこと、もやもや感をばーーーーっと放ってみて。
すこし言えなかったことが言えてすっきりした。
そういう自分もいるなと自覚して、その上で、やっぱ戦いたいわけじゃないし、別にそういう人がいてもよくね?というか、いて当然じゃね?
否定されるように感じて怖かったんだな。俺よ。
という妙な納得感と、「異なる個性もすっと受け入れられた上で、自分のあり方を殺さずに大切にしていける人でありたい」という願いに出会えた。
そんな気がする。
まだまだ伸びしろたっぷりやね!
改めて、話す(今回は文字に起こす)ことは放つことで、すごくスッキリするし、前を向けそうだな。なんか人としてまたひとまわり豊かになれそう。そんな気がした。
話すは放つ。とってもよき。