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machicodehiroco
「ぼっちり」な生き方
「ぼっちり」とは、土佐弁で「ちょうどいい」という意味だ。
若い人は日常使うことはない。
私の亡くなった祖母(大正2年生まれ)は、よく使っていたし、母も時々使う。
私はたまにしか使わないが、この言葉がすごく好きだ。
単に「ちょうどいい」というより、「ちょうどいい」の最上級みたいな感じ。
もうこれ以上ないくらいピターッとハマった😆✨
というような。
仏教に、“中庸“という言葉がある。
私はこの言葉を、「自分にとって一番ちょうどいい感覚」と解釈している。
つまり、私にとって「中庸」とは「ぼっちり」なのである。
私は、20代後半くらいから40代半ば近くまで(つい最近やん)、ものすごく“迷い道くねくね“な人生だった。
自分の本心がわからなくなっていたのだ。
病気になり仕事を辞めて休んでいる間、自分の本心に向き合うことが、少しずつできるようになった。
自分にとって、イヤなことは何か。楽しいことは何か。
イヤなことは極力せず、楽しいことは素直にやる。
当たり前のことのようだが、私はこれができなくなっていた。
そして、本心に従って、素直に行動しているうちに、今まで無理して、頑張らなくていいことを頑張っていたと気づいた。
頑張りすぎも、頑張らなさすぎも、心地よくはなくて、自分にとってちょうどいいバランスが、必ずある。 それが、
「ぼっちり」
私は、これから、自分にとって「ぼっちり」の人生を歩んでいきたい。