ストレスと向き合っていくための考え方を伝えたい
若いときのストレスと今のストレスの違い
若いときはストレスなんてものはいい意味のストレス。ほどよい負荷を得ることで成長するためのものぐらいしか考えたことがなかった。肉体的にも精神的にも。
しかし、年と共に背負うものや接するもの、考えることが増えたという意味での見える範囲の多様化によって、ストレスというものを無意識化においたままにしてはいけないと感じる。
鬱という言葉を聞くとびっくりしたり自分には関係ないなんて考えたりするかもしれないが、とても身近なものだと周囲と話をしていて感じる。
私もいつそんなストレス状況におかれても大丈夫なように気をつけて接してきたつもりだが、気がついたらこれストレスによる反応が体に出ているなとはじめて自覚することになった程度には付き合い方を感じる必要があると思った。
精神におよぼす無意識下のストレスの大本はどろっとした蓄積物のようなものかもしれない
友達と話ししていて、偶然私が以前読んだ本と同じ著者のストレスとの付き合い方の本が参考に出てきたので改めてここでも紹介したい。
五年ほど前に読んだときの感想は、ムリとムダからくるムラを抑える。
ムリを重ねて、ムダにおされていつもの自分自身じゃなくなったときが危険信号だという感想を残した。
結局は認識の世界だと感じる。この自己認識という状態を広げる力が瞑想だったり、人間の持つバイアスを知るといった心理学の話になるわけだが、この初期症状として、常に自分自身がストレスを感じる状態にあるのではないか?とチェックできることが大事。
例え気がつくことができなくても、おなかが痛いだの皮膚がかぶれるなど人によって未病という形で説明できない症状が出るものと感じる。それを常に捉えることが大事。
でないと、ある日突然何も出来ない。簡単なことができない。何もやる気がおきないといった末期症状の入り口に入ることになるだろう。眠れないも当然該当する。
とにかくめちゃくちゃ休む
個人的にも体験したことでもあるし、海外の人が良くいうバカンスという単位での長期休暇というのが仕事をしている人にとっては必要だろうと感じる。
土日の二日程度では、どろっと10年蓄積したような疲れとなるストレスの元はとれないものだ。私も休みを重ねて三週間ぐらい休んだことがあったが、そのときに元々のキャパとしてのやる気や疲労感のなさというのは長い時間をかけて溶けていくことを感じた。
それぐらい人は働きすぎたり動きすぎたり好きなことをやり続けたりして、慢性的なストレス状態にあるということもありえるだろう。
こんなときだからこそストレスの元と向き合う必要がある
今いちどストレスについて向き合うことが求められる情勢に思う。今だからこそ自分自身というのを見つめて、ストレス解消法の選択肢をふやしたり解消できないならつきあいかたの妥協点を見つける低空飛行のような対応が求められる。
まずはストレスで体調を崩す可能性を認識しよう。考えたことがない、ストレスを感じたことがないという人はすでにバイアスの中にいる。いいか悪いかは別として。