熊本に行き続けた「意味」とは

これまで取り組んできたことの振り返りをするといっておきながら、最初の投稿が10日後になってしまいました…💧

最初の振り返りはSCRUMでの熊本派遣について書きたいと思います。

2/23〜27の4泊5日で、熊本での活動に行ってきました。
SCRUMとしては12回目かつ最終回の熊本派遣で、個人としては9回目の熊本派遣でした。

最後なので、自分目線で約3年間継続した熊本派遣全体を振り返りたいと思います。

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大学に入学して約1週間が経った2016年4月14日。
その日は、SCRUMの晩餐会(新歓のご飯会)に参加し、SCRUMの雰囲気が自分に合う気がしたことから「SCRUMに入ってボランティアを始めよう」と決意した日でした。
そして、晩餐会から家へと帰ろうとしていた21:30頃、スマホで地震速報を見ました。

熊本で大きな地震が起こったらしい。

その事実を信じることができませんでした。

熊本での大きな地震なら福岡は?
熊大に進学した同級生は大丈夫なのか?

と思い、とても不安な気持ちになったのを覚えています。

16日未明の本震から少し経ったころのSCRUMのミーティングで、GWに熊本へのボランティア派遣を実施しようという話になり、1回目の派遣のメンバーが募られました。

その時、自分はSCRUMに入ったばかりでボランティアをしたことがなかったので、

こんな自分にできることはあるのか?

と思ったのですが、九州出身の人間として何かできることがあれば、と思いメンバーに立候補しました。

結局は
「ノウハウ移転という目的で行く以上、新入生が参加することは不適切」
「新入生は、慣れない大学生活で疲れているためGWは休息にあてるべき」
といった理由から、1年生の参加は叶わず。

また、2回目以降の派遣からは1年生の参加もできるようになりましたが、ことごとく予定が合わず、初めて自分が熊本で活動できたのは、2016年9月上旬の第4次派遣でした。

第4次派遣の時点では、地震から約半年が経過しようとしていましたが、被害が大きかった益城町などでは、崩れたままの家屋がそのままになっている場所もありました。

実は益城町は、自分が少年野球最後の試合をした場所でした(その時点で6〜7年経っていたので、当時の記憶はほぼ皆無でしたが…)。
そんな過去関わりのあった場所が地震により甚大な被害を受けているということ、そして目の前に広がる景色に言葉が出ませんでした。

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そしてその2ヶ月後の11月、第5次派遣で再び熊本を訪れる機会をいただきました。

その第5次派遣に、自分はすごくモヤモヤを抱いて臨んでいました。

派遣の直前、震災関係の授業でボランティアに関するグループトークをしていたときのこと。

自分はSCRUMメンバーで、福島で活動しています。あと9月には約1週間熊本で活動をした経験があり、今週末も行ってきます。

と言ったところ、同じグループのある人から、

東北からわざわざ人を熊本へ送り込む意味はあるのか。人を送り込むくらいなら(往復ですごいお金がかかるわけだし)そのお金を募金した方がいいんじゃないか。

と言われました。
自分としては意味があると思って9月の派遣にも参加し、今回の派遣にも参加しました。けれどもその「意味」をいざ聞かれたら、そのとき答えることが出来ませんでした。

その授業が終わった後から、意味を答えられなかった悔しさとか色々な感情が起こってモヤモヤしていた中で、派遣を迎えることとなりました。

派遣が終わった後、当時の自分はこの熊本に行く「意味」について次のように記しています。

活動を終えて、しばらく考えていると自分の中で、自分たちが熊本に行く意味・自分たちが行ったことによる成果を目先のものに求め過ぎていたことに気づきました。
自分たちが東北から熊本に行った意味があったかどうかは、今すぐになんか分からない。むしろ、あと1年とか2年経った頃にようやくはっきりするのかもしれないな…と思いました。
今の熊本は、避難所から仮設に人が移ったばかりで、学生ボランティアもハード系の活動から今後どのような活動を行なっていくか模索しつつ活動している時期。そのような時期に東北で仮設とか災害(復興)公営住宅にソフト面の支援活動をしに入っている自分たちが熊本に行って熊本の学生と一緒に活動する。その中で、「足湯っていいな」とか何でも良いけど、どうしてもハード系の活動に目が行きがちなボランティアで、ソフト系の活動も大事なんだなとかソフト系の活動って良いなって思ってもらえたとしたらそれだけでも意味があったと言うことができると思います。もし自分たちとの活動がきっかけで(足湯とか手芸に限らなくとも)同様の活動を続けていこう、ってなったとしたらもっと意味があったと言うことが出来ると思います。
(仮設への入居から間もない)今はテクノとかの様子を見てても分かるように、たくさんのボランティアが支援に入っています。しかし、時が経つうちに、入居者も減って支援を行う成果が見えにくくなると(東北と同様に)ボランティアの数は減少していくと思います。でも、(この言い回しは不適切かもしれないけど)仮設からなかなか出られない人こそ支援が必要だと思うし、学生ボランティアこそその人たちに寄り添い続けることができると思います。
今後自分たちから上手く現地の大学生(熊大さんとか県立大さんなど)にバトンタッチして、1年後や2年後にもソフト面を支援する活動が続いてたらいいな…と思います。
(当時Facebookに投稿した文章より引用)

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第5次派遣以降、先月までの約2年3ヶ月間に第12次派遣までの7回の活動を実施することができました。

地震発生から約1年経過した2017年の夏頃には現地大学のボランティア団体(熊助組・県立大ボラステ)単独での仮設住宅支援が始まりました(時間の経過や、他の災害の発生により支援・ボランティアの数が減少していく中ですが、現地大学による定期的に訪問する活動は2019年3月現在も続けられています)。
それに伴い、熊本派遣でも、活動先を現地大学が通っている仮設に絞って活動を続けてきました。

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そして、先月の第12次派遣。
「最後」という2文字をいろんなところで突きつけられた派遣でした。

例えば…
今回の派遣では活動に加え、これまでお世話になった方々へのご挨拶回りの時間を取ったこともあり、これまで12回の活動で訪問したことのあるほとんどの仮設になんらかの形で伺うことができました。

そんな中で、たくさんもらった言葉が

また来てね

という言葉。

それに対して自分も

うん! また来るけんね!

と返すが、その「また」の機会があるかはわからないことに、「最後」であることを感じ、なんとも言えない気持ちになりました。
ただ、これまでの活動を通してもし「東北から来た自分たち」という存在が、少しでも熊本の方々に元気を与えられていたとしたら嬉しいな、とも思いました。

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最後に…
最終回を終えたこのタイミングで、改めて自分たちが熊本に行った「意味」を考えてみたいと思います。

当初はこれほどまで長く熊本での活動を続けられるとは思っていませんでしたが、幸運なことに約3年間、計12回の活動を実施することができました。
そしてその過程の中で、現地大学による仮設住宅でのソフト系の活動も生まれました。
また、最初はほぼ東北大主導で活動していたのが、最後の方には「手芸は県立大さん主導で…」といった感じで分担しながら活動することもできていました。

この今の状況は、熊本に行く「意味」に関してモヤモヤした当時からすると、考えられない状況です。
当初熊本派遣に期待された「(ソフト系活動の)ノウハウ移転」の成果と言えるかもしれません。

ただ、自分はこの熊本派遣を、SCRUMの学生が「教える側」で熊本の学生が「教わる側」という一方的なものだとは捉えたくありません。

むしろ、「双方向的」なものであったと思っています。

もちろん、SCRUMの学生からはソフト系活動のノウハウを熊本の学生に伝えた、というのは事実ですが、自分にとっては、活動に対する姿勢や、現地の方への接し方に関して、熊本の学生を見て学んだ部分がありました。

一緒に活動することを通し、「双方向的」な学びができたことが、熊本派遣の成果であり、意味であったのではないかと、自分は今思っています。

そして九州出身の自分個人としては、熊本に対して、微力ながら自分ができる形で行動を続けることができて良かったです。
この約3年間の熊本での経験は、これからも大切にしていきたいと思います。

(とりとめもなく、乱文を書き連ねてしまいましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました🙇‍♂️)

#災害ボランティア #熊本地震 #東北

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