生きづらさの大先輩、ヘルマン・ヘッセに寄り添ってもらう
皆さんはドイツ生まれの詩人、ヘルマン・ヘッセをご存じでしょうか。
ヘッセは数々の詩や「車輪の下」「デミアン」といった小説を世に放ち、1946年にはノーベル文学賞を受賞しました。
作家にとってノーベル文学賞は最高の栄誉。今でもヘッセの名は文学史に輝いています。
まさにヘッセは成功者の中の成功者でしょう。
成功者…なんだか聞いただけでも立ち眩みを起こしそうなキラキラした言葉ですね。
しかしヘッセの詩や小説は、人生を謳歌するスターのような人たちではなく、影や暗さを抱え、生きづらさを感じている人たちこそ深く味わえるものだと私は思っています。
そんなわけで今回ご紹介したいのヘルマン・ヘッセの随筆、「地獄は克服できる」です。
人生に強い苦しさを感じている、もしくはなんとなくだけど生きづらい。
そんな人たちとヘッセをつなげるお手伝いが出来たら幸いです。
学校や社会に馴染めなかったヘッセ
まず目次を読み終えて9ページ目からこんな調子です。
この時点でなんとなく「学校とか社会とかに馴染めなかったんだな…」って思いませんか?
実際にヘッセは世間に馴染むのが苦手で、人生の中で何度もうつ状態を体験してきました。
さらにヘッセは超難関の神学校に合格するのですが、脱走することになります。
本当に学校が嫌だったんですね。
根っからの芸術家であふれんばかりのイマジネーションを持つヘッセにとって、個性を殺して順応しなければならない学校や社会はさぞ生きづらかったのではないかと思います。
眠れぬ夜が与える教養。不眠に悩む人にヘッセが贈る言葉
ヘッセの詩には、眠れぬ夜の苦しみやまどろみを描いたものが数多くあります。
それは、ヘッセ自身が不眠に悩まされたからなのかもしれません。
生きづらさを抱える人にとって、不眠とは切っても切れない存在ですよね。
眠りたいのに眠れないというのは辛いものです。
この投稿を見てくれている方の中にも、眠れぬ夜に苦しんでいる人がいるかもしれません。
しかし、ヘッセはそんな辛い夜を過ごす人たちにこんな言葉をかけます。
私がこの本を読んだのはまさに不眠症を患ったさなかの真夜中。
「眠れないこと=悪いこと」という等式が自分の中ですっかり強固になっていた時でした。
不眠症あるあるとして「眠るための努力をすればするほど、逆に力が入って眠れなくなる」
そんな経験をしたことはありませんか?私はそうでした。
不眠症って、”治そう”と思えば思うほど深みに嵌っていく気がします。
しかし、ヘッセは不眠症の人に同情こそしますがそれを否定したりはしません。
むしろ「眠れぬ夜に苦しんだ君だから、他人に優しさや愛情をもって接することができるのだ」と不眠症を抱える人を肯定します。
まるで友人の肩に手を置いて、優しく諭すようです。
ヘッセは「当事者」として語りかけてくれる
詩や小説、随筆を通して語られるヘッセの言葉からは、人生に苦しんだり悩む人への深い愛情を感じることができます。
それは、ヘッセが生きづらさを抱えた当事者だからではないでしょうか。
ヘッセは、「人生がどれだけ私たちに苦しみを与えるか、生きづらいものであるか」を肌で知っているのです。
だからこそ、苦しむ人に必要な言葉を自然に与えることができるのでしょう。
生きづらさ当事者のヘッセですから、彼の言葉には人生に苛まれている人たちを「治す」とか「分析する」といった感じはありません。
うつや不眠に効く精神療法なんかは書いていません。
でも、自分の生きづらさを表明し、同じく苦しむ人に「あなたは一人じゃない、あなたはダメなんかじゃない」と言葉をかけて寄り添う。
それはもしかしたらどんな療法よりも効果があるのかもしれません。
最後に
今回ご紹介した「地獄は克服できる」には、生きづらさの大先輩、ヘッセの苦悩や苦しむ人たちへ送る言葉がまだまだ詰まっています。
最後に、私が文章を書くきっかけになった詩の一節を紹介して終わりにさせていただきます。