どんと来いよ、人生。
少々頑張りすぎてしまった次の日の朝。
自分の体を労わりたかったのか、
食べれなかった夜ご飯を取り戻したかったのか、
どうもおでんが食べたくて仕方なかった。
コンビニのおでんが一番。
始業前に会社でしれっとおでんを食べていたら、出社してきた人に「朝からおでん…」と言われた。
精神をかなり削っていたことに気づいた。
ふと今週末の友達との楽しみを想像したら、脳内がハピネスであふれてなぜだかウルウルしてしまった。
精神を削らない人と関わるのがいかに心地よく幸せで、昨日精神を削ってまで関わった人がいかに自分の中のアレルギーになっていたか。直接対峙している時じゃなくてジワジワと後になってアレルギーに感じることもあるもんだなと。
優しい土地で優しい人と優しい出来事ばかりに関わっていたら、たまの刺激がかなりの害悪になるまで膨らんでいた。平穏な日常にどっぷり浸かりすぎた。以前会社のお姉さんにそんなことをこぼしたら、「人のキャパは人それぞれですから!頑張ってない人いっぱいいますよ」なんて言ってくれたけど、この優しさにも浸かりすぎてしまっている気がして怖くなる。頑張るとは、努力とは、どこまでか、一生答えが出ないし出したくもないかも。
それでも、さすがに昨日は大変な夜だったと思い、お昼も優しい土地の優しい定食をいただくことにした。つっけんどんなおばちゃんも通っていくうちに接しやすくなり、お姉さんと呼んでくれるようになり、話しかけてくれるようになり、食後のお茶を勧めてくれるまでに進歩した。おばちゃんのうちなる優しさまで貰ってしまった。この街はやっぱり優しさで溢れてる。
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そして2ヶ月以上過ぎた今日、この下書きを見つけた。
頑張り過ぎてしまったことがなんだったか忘れていた。最終編集の日付を見るかぎり思い当たる節はあり、でも今考えれば大して頑張ったことでもなかった。ただ当時はかなり頑張っていたのだと思う自分なりに。たった数ヶ月前の出来事なのにあんなことでハァ…となっていた自分がなんだか可愛く思えてくる。あの後私はこの世は優しい人だけでないことを改めて突きつけられたし、精神を削る以上に抉るような経験もした。その分私のキャパシティーは格段に大きくなったし、近くにある優しさをより一層大事にしたい気持ちが強くなった。
あの時友達が言ってくれた「人生のターニングポイントだね」という言葉が今になって沁みてくる。当時は何がターニングしたのかはよくわかっていなかったが、そもそもターニングのなさそうな平凡な私の人生にターニングが来るのかと思っていたが、今は確実に一皮剥けた自分になっているとわかる。何か知識をつけたわけでも、技術を身につけたわけでも、キャリアアップしたわけでもない。ただ自分の心が成長したというだけの話だが。
もっと頑張れそう。もっと傷つけそう。もっと成長できそう。
そんな感じ。
どんと来いよ、人生。
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