見出し画像

よい本を見つけるためには、


初めましての方も、そうでない方も図書委員の鹿谷です。「シカタニ」でも「ロクヤ」でもなく、「カヅヤ」と読みます。ちなみに本名ではありません。

今回の話は、前回の続きになります。

担任が読み聞かせをしてくれたことにより、わたしに変化が起きました。まず教室よりも図工室が好きになりました。「この学校にも、学校ネズミがいるのでは?」と想像したのです。

それから数年経ってからだと思う。鍵がかかった図書室が昼休みのみ開館することになったこと、時間割に「図書の時間」が出来たこと、この2つが起こり、ますますわたしの読書欲が加速しはじめた。そして図工室より図書室が好きになった。

同じクラスの人の中で、わたしと同じのように「岡田淳さんが書いた他の作品を読みたい!」と思った人はいなかったと思う。これは、同じクラスの人は岡田淳さん(いや、本というもの)よりも遊びを優先したからだと思われる。

さて、図書室へ入りわたしは本棚を眺める、本に囲まれたこの雰囲気に圧倒されっぱなしで昼休みが終わってしまうことがしばしばだった。

そのうちに少しずつ図書室にも慣れ、岡田淳さんの『二分間の冒険』を読む。他にも岩波少年文庫シリーズや人気の『かいけつゾロリ』などを読み漁る。

中でも記憶に残るのは、「ファンタジー」と言われるジャンルの本たちだった。『ナルニア国物語』や『ハリーポッター』などの長編を気に入って読んだ。といっても、昼休みや図書の時間では長編は読めない。続きが気になってソワソワしたり、他の人が借りてしまい読めなかったら…などとドキドキした。ここで初めて、「図書室の本を借りる」ということをわたしは覚えた。また、自分のお金で本を買って独り占めにできる感覚も手に入れた。

 読書する時間がまるでない、と白状する親はすくなくない。この場合、子どもたちが読書に関心をしめさないからといっておどろくことはない。
 朝食や夕食のテーブルで本について話がかわされたり、いやそれだけでなく、討論があれば、子どもたちは耳をそばだてることだろう。子どもたちは話にくわわりたいし、なにも言わなくても自分から本を読むことだろう。
 しかし、親が新しく買ったベンツのローンのしはらいや、昨夕のサッカーの試合のようなことだけを話題にしているのなら、どうして子どもたちが、突然よい本を見つけるだろうか?
『なんでもない庭』「子どもと読書」より

この頃のわたしの両親は、わたしへよい本を見つけるために本の話題はしなかった。しかし、小さい頃から母は絵本の読み聞かせを欠かさずしてくれた。また、司書の方へ本のあり方を尋ねることなく自力で本棚から探し、借りて取捨選択する経験がよい本の見つけ方だと思っている。(もちろん、図書室で試し読みとして借りると、書店に並ぶ新着本には追いつけない。また、図書室にはない本の珍しさに書店で、輝いて見えた本を勢いで買って失敗したということは何度もあります)

そんなわたしが本へ興味を持ってくれたことについて、両親は喜んでくれたが、一つだけ心配事があった。

それは、次回のnoteに書こう。

最後に、今回引用した『なんでもない庭』について触れておきます。この本は、副題に「エンデが遺した物語集」と書いてあります。また、あとがきに書いてあることですが、「ミヒャエル・エンデが亡くなったあと、長年の担当編集者であり、友人でもあったロマン・ホッケが、短編小説、戯曲、長編小説の断片、バレエの脚本、詩、なぞなぞ、手紙など広範囲の遺稿のなかから厳選した40数編を収録した本」になります。

この本も某図書館で借りてきた。

ではまた。