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呪術的世界の入口としての謡

マクルーハンが、グーテンベルクによる活版印刷がもたらした社会的変化と、現代の電気テクノロジーによる脱文字文化時代という分析を行った『グーテンベルクの銀河系』。今ではなかなか想像のつかない音声による呪術的世界について、さまざまに語られる。

大量印刷されることによって知識が伝えられるようになったグーテンベルク以降、均質化された時間と空間がもたらされた。これは印刷技術だけでなく、ジョン・アーリの『モビリティーズ』でも指摘されているように、時刻表どおりに運行される機関車が「クロックタイム」をもたらしたように、いわば近代の特徴でもあった。私たちは、その近代的時空に生きる近代人であると自覚している。

マクルーハンは、私たちはすでに、そうした近代とは異なる認識形式を持ち始めていると指摘する。それは、すでに中世的な感覚を持っていたエリザベス朝の人々が、古典的社会の人間であると自身を考えていたように、私たちもまた、自分より前の時代、すなわち近代の認識を持ち続けていると錯覚している、というのである。

今の常識というのは、実はすこし以前の常識をそのまま経路依存的に維持しているだけである。すでに私たちの認識は変わりつつある。斎藤元兵庫県知事が再選を果たしたが、私たちは、新聞という文字情報への信頼をすっかり失っている。立花孝志の「声」のほうに説得力を感じている。その事実を否定するのではなく、その事実を通じて、私たちは自覚すべきなのだろう。

ところで、私の授業では、最終日の懇親会で学生たちとライブ演奏を行うことになっている。今回も例に漏れず、演奏を行う。今日はその構成の確認を行うために、授業後にカラオケボックスで軽く練習をした。そこで感じたのは、歌もやはり呪術的だということだ。歌の巧さというよりも、声が生み出す空気の振動が、文字にならない情感を伝えていく。歌を歌うのではなく、この空気振動に情感を乗せていく感覚。ここにあるのは、グーテンベルク以前の扉を開くものだ。

どんなに疲れていても、謡曲を謡うと元気が出てくる。私の能の師匠である佐野先生は、いつもものすごく元気だが、謡曲の力ではないかと思うことがある。謡曲とは、能の台本を、声を出して謡うものだ。能独特の節回しをつけて謡うのだが、このときの感覚は、声をだすというよりも、身体を使って空気を震わすというほうが近い。観阿弥・世阿弥の活躍した室町時代は、声による呪術的力が強い影響力を持っていた。能舞台に霊的存在を浮かび上がらせる複式夢幻能は、謡による呪術の力だ。この呪術は、口伝でしか伝えられないものである。

能のこうした呪術性を学んでいるのは、過去に向かうためではない。マクルーハンが言うように、すでに近代的人間ではない私たちが、次の時代の新しい人間としての自覚をするのに、ここがひとつの入口だと感じるからだ。

2024年11月30日は水道橋の宝生能楽堂で発表会がある。10:30から開催されている。無料なので、ぜひ見に来てほしい。

小山龍介
BMIA総合研究所 所長
名古屋商科大学ビジネススクール 教授
京都芸術大学 非常勤講師

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