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ニューカラーからアレック・ソスへ

ひとりの芸術家が生まれる背景には、さまざまな芸術的な文脈がある。もちろん、天才的な芸術家がまったくのゼロから新しいものを生み出すことも、理論上はありうるが、その作品が評価されるためには、社会の側にも準備が必要となる。芸術家の誕生は、まさに啐啄の機とも呼べる絶妙なタイミングがあり、文脈の交差がある。

アレック・ソス《Fort Jefferson Memorial Cross, Kentucky》(2002)

さきほどの記事で、ニュー・ドキュメンタリーとアレック・ソスという補助線を引いたが、今回はニューカラーとの関連に触れてみたい。ニューカラーとは、1976年にニューヨーク近代美術館(MoMA)で開催されたウィリアム・エグルストンの個展「Color Photographs 1976」をきっかけにして始まった、新しい写真表現の流れである。それまでは、モノクロ写真しか芸術表現として認められていなかったのが、この個展をきっかけに、カラー写真も芸術として認められたのである。

ウィリアム・エグルストン「ウィリアム・エグルストン・ガイド」

ちなみに、近年再評価されたソール・ライターは1940年代からすでにカラー作品を撮り続けていたが、それが発見されたのは1990年代に入ってからであった。これは、社会的評価にむとんちゃくであったライターの個人的な性格によるところが大きいが、もうひとつは、この1976年になるまで、カラー写真が作品とみなされていなかったことも要因であった。

ソール・ライター《足跡》(1950年頃)

さらに余談だが、先の記事にも触れたように、1967年に行われた「ニュードキュメンツ」展によってニュードキュメンタリーが脚光を浴び、エグルストンの個展の2年後には、「鏡と窓」展によって、写真表現のカテゴリー(ストレートフォトかマニピュレイテッド・フォトか、という二項対立)に革新をもたらしたように、この時代はニューヨーク近代美術館の展示が、写真芸術の進展に大きな役割を果たした。

さて、ニューカラーとソスの関係だが、まず大前提として、カラー写真を扱う写真家でニューカラーとの関係が「まったくない」と言える作家はなかなかいない。ニューカラーを肯定的に受け継ぐか、批判的に受け継ぐかはあるにしても、その影響からは免れられない。その点で、カラー写真家であるソスにニューカラーの影響を見ないということは、難しい。

しかし、ソスにはそうした基本的な影響以上のものがある。彼自身、動画でエグルストンからの強い影響を語っている。ソスはエグルストンの写真集「The Democratic Forest」を取り上げ、なにか非日常なものを特別に取り上げるのではなく、日常的なものに着目する「民主的な」やり方を評価する。何でも写真になりうるという信念である。

ウィリアム・エグルストン「THE DEMOCRATIC FOREST」
エグルストンの写真についてコメントするソス

あたり前のことではあるが、白黒写真からカラー写真への移行によって表現上のさまざまな変化があった。表面上には色がついたということではあるが、そのことによって普段、見えている世界がそのまま写し取れるようになった。白黒では、普段の視界とは異なる表現によって、ときには劇的な非日常感が演出できた。しかしカラー写真はむしろ、日常を日常として捉えることが可能となるのである。エグルストンの写真集のタイトルから言葉を借りれば、カラー写真は民主的なのだ。

アレック・ソス《Peter's houseboat. Winona, Minnesota, USA》(2002)

ソスのニューカラーからの影響、とくにエグルストンからの影響は、このような民主的視点にあり、それはニュー・ドキュメンタリーのアプローチとも重なりながら、ソス独自の表現として結実するのである。

小山龍介
BMIA総合研究所 所長
名古屋商科大学ビジネススクール 教授
京都芸術大学 非常勤講師



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