即興性とイメージデータベース
アート思考のプログラムとして、インプロビゼーションを取り入れている。インプロビゼーションとは、即興のことで、たとえばジャズのインプロビゼーションといえば、楽譜などがないなかでその場の状況に応じて、音楽を創造して演奏していく方法である。欧米では即興演劇もさかんで、アメリカには専用の劇場もあるという(コメディという位置づけらしいが)。ストーリーを事前に用意せず、観客から投げ入れられたりする偶然の設定やセリフなどをつむいで、その場で物語を作っていくのである。
このインプロが、人々の創造性を引き出す。なにせ、事前のセリフがないのだから、ひねり出すようにして新しいセリフを生み出さなければならない。創造しなければならない状況を作ることで、人々を創造的にする。このインプロビゼーションを、私のアート思考プログラムの中核に据えている。
具体的には、インプロゲームと呼ばれる、かんたんな即興でやりとりするゲーム的なものを使う。たとえば、相手の言った言葉から連想する言葉を言う連想ゲームでは、イメージと言葉の関係を学ぶ。言葉を言われたときに、概念として捉えてしまうと、連想が広がらない。言葉を聞いたときにできるだけ豊かなイメージに変換することが、連想ゲームのコツだ。
「夏」と言われたときに、季節の概念として捉えると、「秋」「春」「冬」というカテゴリー内の連想に終始してしまいがちだ。ところが、夏の風物詩的な風景、夏の海水浴や花火大会、田舎の田園風景などをイメージすると、そこからさまざまなモノ、コトが広がっていく。
このように、即興ゲームひとつひとつに、創造性開発に必要な要素を組み込み、ステップバイステップで学べるプログラムを構成している。一連のプログラムを学ぶことで、創造性の仕組みの一端が理解できるというわけだ。
しかし、この即興ゲームももちろん、万能ではない。頭の使い方はわかるとしても、自身の中にストックされたイメージが貧弱だと、優れた即興を生み出すことができない。たとえば連想ゲームで、夏に対してもっているイメージは、人それぞれ多様だ。凡庸なクリエイターは、すでに使い古された月並みな表現ばかりを繰り返してしまうだろうし、一方、優れたクリエイターであれば、身体的に記憶している夏の時間に流れるさまざまな機微を、語ってみせるだろう。
即興というツールは、創造性の扉を開けるきっかけとはなるけれども、肝心のイメージのストックがなければ、陳腐なものしかでてこない。こうしたイメージを社会的に蓄積したのが、文化である。日本の和歌は、枕詞や本歌取りといった引用を積み重ねることによって、また掛詞のように同じ音に複数の意味を重ね合わせることによって、言葉にイメージを重層的に蓄積してきた。いわば巨大なイメージデータベースである。
このデータベースへのアクセスのためのケーブルが、戦後、すっかり切断されてしまった。学校教育の中では、古文などで学ぶこともあるが、日常生活の中においては、そうした文化資本が、どんどん失われていった。私が能を学んでいるのも、室町時代に構築されたイメージデータベースへのケーブルを再度、接続し直すためのものだ。一年ほどインプロを学んで、インプロだけではまったく不十分だと気づき、能に転向したのだ。
この世阿弥の『高砂』の詞章に対して、梅原猛は次のように言う。
このイメージの重ね合わせのなかで新しいイメージを生み出していく。能もまた、臨機応変の即興性を持ち合わせているが、ただ単に即興だけではだめである。そこに、このような重厚で、高速なイメージの往来があってこその即興性なのである。
小山龍介
BMIA総合研究所 所長
名古屋商科大学ビジネススクール 教授
京都芸術大学 非常勤講師
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小山龍介のビジネスモデルノート
ビジネスモデルに関連する記事を中心に、毎日の考察を投稿しています。
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