自己啓発の始祖としてのストア派
先の記事で、プロフェッショナルがボランティアで社会奉仕活動をする「プロボノ」を調べる中で、ストア派にたどり着いた。
https://note.com/bmia/n/n6b6d848c803e
ストア派は、実践を重んじた。理性に基づいて正しい行動を取ることで、徳(アレテー)を身につけることができ、それにより幸福になるのだという考えからだ。今で言えば、相当な意識の高さのように思える。
また、情念(パトス)を克服し、内面的な平穏(アタラクシア)を得るのだという、節制を重んじた。これは、現代のマインドフルネスにもつながる発想だ。ストイックという現代語の語源は、ストア派から来ている。その本質は、自己制御にある。
ほかにも、ストア派の代表的な哲学者の一人であるエピクテトスは、「制御できること」と「制御できないこと」を区別し、制御できることに集中すべきであると語るのだが、それはさまざまな自己啓発本で繰り返し主張されていることでもある。「人間は物にかき乱されるのではなく物に対する自分の考えにかき乱される」という彼の言葉は、制御可能な自分の考えの方に注意を向けるべきだということを示唆している。
私自身も、デビューはライフハック本だったので、この分野については多少馴染みがあるのだが、現代の軽薄なライフハックを、ストア派の哲学によって根拠付けるというようなことには、私の関心はない。それよりも、改めてストア派の哲学を現代社会に適用するとどうなるのかという点について、興味がある。
当時のローマは、権力争いによって政治は不安定で、だからこそ「制御できること」に集中することが重要だと彼らは考えた。彼らの発想は、そうした社会情勢と密接に絡んでいる。心の平穏を求めたのも、それだけ社会が不安定だったからだ。
このように、自分では制御できない外的環境に囲まれているというのは、もしかしたら現代にも通じるのかもしれない。私たちは、たとえばSNSの喧騒のなかで、まったくの赤の他人からの誹謗中傷にさらされることもある。そんな状況において、自暴自棄に陥ることなく、まずは自分のできることを実践する。そこに、幸福がある。そう考えるストア派の思想は、意識の高さというよりはむしろ、身の程をわきまえた健全な諦念のようにも思える。
そんなことを考えていたら、先日のゲンロンがまさにそのようなテーマでの議論が行われていた。
https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20241123
先日設立した社団法人の取り組みも、そうしたストア派の思想の延長に位置づけられるのかもしれない。自分たちができることを実践する。それは大げさな社会改革などではなく、この嵐の中で、地域を救うというよりは、私達自身の心の平穏を求める取り組みなのかもしれない。
小山龍介
BMIA総合研究所 所長
名古屋商科大学ビジネススクール 教授
京都芸術大学 非常勤講師