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創られた伝統と創り出す伝統

今年は、西日本最大の盆踊りと言われる丹波篠山のデカンショ祭に参加した。丹波篠山とは、日本遺産のプロデューサーとして関わって以来、さまざまなかたちで仕事をさせていただいている。数年前にこのお祭りを体験する予定だったのだが、そのときは台風で中止となってしまい、参加が叶わなかった。数年来の願いを果たすことになった。

篠山城の広場に建てられた木造のやぐら

このデカンショ祭でうたわれるデカンショ節の語源については、さまざまある。有名なものは、デカルト・カント・ショーペンハウエルという哲学者の名前をもじってつくられたというものである。明治期に、丹波篠山の高校生が千葉県の海水浴場で歌っていたのを、東京第一高等学校が聞いて愛唱されるようになったという。もともと「よーいよーい、でっかんしょー」という掛け声でしかなかったものに対して、おそらくあとづけで哲学者の名前を当てたのだろう。それまでは、「デッコンショウ」など表記揺れもあったが、大正時代には、「デカンショ」が定着したようだ。

私の息子も熱心に踊っている

この明治、大正時期というのは、さまざまな新しい伝統が開始された時期でもある。各地に残る神楽には、この時期に開始されたものも多くある。それまで寺社で行われていた神楽が、地域の楽しみにとして、公民館などの公共施設でも公演されるようになった。保存会が結成され、それが地域の結束を高めるものとして継承されている。いまでは百年以上の歴史を持つものとして、伝統芸能として保存の対象となっている。

デカンショ祭も今年、第71回目の実施だという。第一回が実施されたのは戦後間もない1953年のことだ。デカンショ節自体は長い歴史を持つものではあるものの、それが今のような祭りというかたちで歌い継がれるようになったのは、実はそれほど古い話ではないのである。

高度経済成長期には各地に団地がつくられたが、そこで地域の結束を高めるために盆踊りの導入が進められた。私自身、幼少の頃、九州最大規模の日の里団地で育ったのだが、駅前の広場で大規模な「日の里まつり」が実施されていた。団地が造成されたあとの1976年から始まった。団塊ジュニア世代が子供時代の1980年代には、この祭りも大きなにぎわいを見せた。団地には、それまで地域結束の象徴として機能していた氏神様が存在していなかった。そうしたハードの欠落を、盆踊りというソフトでカバーしようとしたのであろう。

こうした新しい伝統に対してホブズボウムは、「創られた伝統(Invented Traditions)」という概念を提唱し、批判的な眼差しを向けた。例えばスコットランドの伝統的な意匠として知られるタータンチェック柄も、19世紀に創られたものであることが知られている。伝統だと捉えられているものに対して、無批判に受け入れるのではなく、検証することが重要だ。

また一方で、今取り組みを始めたものについても、数十年すれば伝統として受け継がれる可能性を考えることも重要だ。そこには、新しい伝統を作り出す可能性があるとともに、そのことに対する責任も発生するだろう。

デカンショ祭の終わったあと、一般社団法人ノオトの初代代表である金野幸雄さんに話を伺う機会があった。丹波篠山の西町から東岡屋のエリアを新しい伝建地区とするために、これから伝統工法で新しい住居を建てるのだという。現在、伝建地区に指定されている町並みも300年も経てば朽ちてしまう。そのときに伝統技術を受け継ぐためには、むしろ積極的に新しい伝統を創り、伝えていく必要がある。金野さんの活動は、古民家再生の先へと進んでいる。

明治、大正期の人たちがどのような気持ちで新しい神楽を開始したのかはわからないが、令和に生きる私たちも、思いを持って伝統となりうる取り組みを始めていく必要があるのだろう。

小山龍介
BMIA総合研究所 所長
名古屋商科大学ビジネススクール 教授

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