京都芸術大学松井ゼミ 芸術批評の執筆
お手伝いしている京都芸術大学の松井ゼミの今回の課題は、批評の執筆。その課題資料をここで共有します。以前の記事でもその準備として読んだノエル・キャロルの『批評について 芸術批評の哲学』を紹介したので、覚えている読者もいらっしゃるだろう。
今回のゼミでは、みなさんに芸術批評を書いていただきます。批評とは、作品の感想文とは異なります。感想文は個人的な感情や印象を伝えることが中心となります。感想文を書く人は、自分がその作品をどのように感じたか、自分にとってどのような意味があったかといった主観的な感想を自由に表現します。ここでは、作品の評価よりも、作品が自分に及ぼした影響や、自分の内面に響いた点が重視されます。そのため、感想文では厳密な論理性は求められず、あくまで個人的な体験としての見解が許容されます。
一方、批評では、作品の内容、表現方法、テーマ、構造などについて多角的に分析し、その良し悪しを判断するのが批評の役割です。そのため、批評は一般的に論理的な思考と客観性が求められます。読者が納得できるように、作品から具体的な引用や事実を引き合いに出し、評価の根拠を示すことが重要です。また、作品がどのような文脈の中で生まれたのか、他の作品や社会的背景とどのように関わっているかといった点にも触れられます。
批評を学ぶことのメリット
批評を学ぶことのメリットを、とりあえず以下の3つにまとめておきたいと思います。ひとつは、自分の意見を客観的な材料で補強し、説得力をもって伝える技術を身につけられるということです。社会に出て、みなさんは他人を説得しなければならない場面に遭遇します。そのときに、どのように自身の意見を伝えていくかということを、批評を書くことによって学ぶことができます。もちろん、論文執筆にも直結する重要な技術です。
二つ目のポイントは、作品やテーマに対してより深い理解を得られるという点です。批評を書く際には、作品の表面的な部分だけでなく、その背後にある文脈やテーマを探り、解釈を深めていく必要があります。その過程で、作り手がどのような意図を持って作品を生み出したのか、どのような技法が使用されているのか、さらにはその作品が社会や文化にどのような影響を与えているのかについての理解が自然と深まります。作品の内外に広がるこうした背景を知ることで、単に「良かった」「面白かった」という感想を超えた洞察を得ることができます。
そして、三つ目のメリットは、批評を通じて、作家としての視野を広げ、今後の制作に活かしていけるという点です。作品を評価しようとする際、自分が何を重要視しているのか、どのような価値観を持っているのかを自覚するきっかけになります。批評を行うことで、自分の価値観や見方に対して自己反省し、より多角的な視点から物事を捉えるスキルが育まれます。これは、みなさんの制作活動にも大きく寄与するはずです。批評は単なる分析にとどまらず、自分と作品との関係や、さらには自分と社会との関わりについて考える手段ともなり得ます。
批評の類型
批評には長い歴史があり、特に20世紀に入ってからはさまざまなアプローチで作品分析が行われるようになってきた。精神分析批評、マルクス主義批評、構造主義批評、ポスト構造主義批評、フェミニズム批評、ポストコロニアル批評など、作品を分析するための批評の多様なアプローチが開発され、それによって作品が多面的に分析されています。
今回のゼミでは、こうした特定の批評形式を学ぶことはしませんが、以下、代表的な批評の類型について簡単に紹介します。批評の領域の広がりを理解してもらえたらと思います。
1. 精神分析批評
ジークムント・フロイトやジャック・ラカンの理論を基に、作品やキャラクター、作者の無意識や欲望、トラウマを分析する批評です。作品の中に潜む抑圧された心理的要素や象徴を明らかにし、登場人物や物語の象徴的な意味を解釈します。文学や美術でよく使われ、夢や無意識的なイメージが多く登場する作品で特に効果的です。
2. マルクス主義批評
カール・マルクスの理論を基に、作品の中にある社会的・経済的構造を分析する批評です。作品がどのように階級や権力、資本主義の影響を反映しているかを解釈し、作品が社会におけるイデオロギーや抑圧の構造をどのように表現しているかに焦点を当てます。階級対立や労働問題に関する作品や、特定の時代の政治的背景を探る際に用いられます。
3. 構造主義批評
フェルディナン・ド・ソシュールの言語学を基に、言語やシステムの構造を通して作品を分析する批評です。作品の中に繰り返されるモチーフや構造、言語の体系を分析し、作品の本質を体系的に理解しようとします。神話や物語のパターンを分析するクロード・レヴィ=ストロースの神話学や、ロラン・バルトの記号学的分析もこれに含まれます。
4. ポスト構造主義批評
構造主義への批判から発展した批評で、ジャック・デリダやミシェル・フーコーなどの理論家に影響されています。ポスト構造主義批評では、作品の意味が決まったものではなく、多様な解釈の可能性があると考えます。言語や構造の不確定性に注目し、テクストの背後にある権力構造や、作品が持つ多様な意味を探ることが特徴です
5. フェミニズム批評
女性の視点から作品を分析し、性差やジェンダーの表現、女性の表象がどのように作品内で扱われているかを解釈する批評です。パトリアルキー(男性中心主義)に基づく表現や、性役割の固定観念が作品内にどのように影響しているかに焦点を当てます。シモーヌ・ド・ボーヴォワールやジュリア・クリステヴァ、ルース・アイリガレイらの理論が影響を与えました。
6. ポストコロニアル批評
植民地支配とその影響に焦点を当てた批評で、エドワード・サイードの『オリエンタリズム』に端を発しています。異文化や「他者」の表象が作品内でどのように扱われているか、また、植民地支配とその遺産が作品にどのような影響を与えているかを考察します。アフリカやアジア、ラテンアメリカの文学や、植民地支配と対立の歴史をテーマとした作品で頻繁に用いられます。
批評の執筆方針
今回の批評は、特定の批評方法によらない、まずはフラットな批評に取り組みます。フラットと言っても、これだけたくさんの批評スタイルが登場している以上、みなさんはいずれかの批評には触れており、その影響を受け無意識にうちに特定の批評スタイルに寄ってしまうこともあるでしょう。そのため、比較的フラットな批評の方法を特定し、その方法に基づいて執筆を行いたいと思います。今回採用するのは、ノエル・キャロルが『批評について』で紹介している芸術批評の方法です。
ノエル・キャロルは、ニューヨーク市立大学大学院の教授であり、元アメリカ美学会会長を務めた大御所です。彼は、上記に上げた批評の価値は認めつつ、芸術批評の意義は、作品に対して、「証拠にもとづいた価値付け」を行うことにあると考えました。それこそが、ふつう鑑賞者たちが批評家に期待していることであり、批評を読むことで、自分ひとりでは見出しづらい価値を発見できるよう助けてくれることを求めているのだと言います。今回の批評ではこのキャロルの定義に従って、その分野について詳しくない人に、作品の価値を根拠づけながら伝える批評を想定しています。
この意味で、批評は必ずしも批判的である必要はありません。先述した批評類型のなかには、政治的な意図を持って批判的な批評を基本とするものもあります。たとえばポストコロニアル批評は、植民地支配の影響について議論するため、自然と批判的な論調になります。マルクス主義批評やフェミニズム批評もその傾向があるでしょう。今回はむしろ、作品のポジティブな価値を見出し、伝えるような批評を目指したいと思います。
批評の作業プロセス
さて、キャロルは「根拠にもとづいた価値づけ」をするためには、次のような作業が必要になると言いいます。それが、記述(description)、分類(classification)、文脈づけ(contextualization)、解明(elucidation)、解釈(interpretation)、分析(analysis)です。そのうえで、価値づけ(evaluation)が行われます。
記述(description): 作品の客観的な特徴や構造を詳細に説明すること。
分類(classification): 作品のジャンルやカテゴリーを特定すること。
文脈づけ(contextualization): 作品が制作された歴史的・文化的背景を明らかにすること。
解明(elucidation): 作品内の意味論的、図像的および/もしくは肖像的な記号の表示関係を明確にすること。
解釈(interpretation): 意味論的、図像的、記号的な意味を超えて、ある程度の仮説と推測により、意味を特定すること。
分析(analysis): 作者の目的を踏まえ、その手段と達成度を測定すること。
解明と解釈は、その違いがすこし分かりづらいですが、解明は、作品内の記号についての内在的意味を明らかにするものです。キャロルはラファエロの《アテネの学堂》を例に上げて、この絵の中の分度器を持った人物をユークリッドと特定する、というような作業となります。
一方、解釈は解明ほど確実なことを言うことはできません。これもキャロルのあげている例を紹介しておきましょう。マネの《草上の昼食》では、裸になったヴィクトリー・ムーランが鑑賞者を見つめているが、その身体は理想化して描かれていない。本来は理想化して描かれるべき女性の身体が、そうした美を備えていない。このジャンル逸脱的なイメージを用いて何を言っているのか、ということに答えるのが、解釈である。これに対して、アレクサンダー・ネハマスは、「アカデミック絵画とその鑑賞者たちの伝統に向けられた侮蔑」という解釈を行っている。
解釈を行うときには、自然と制作者がその作品によって何を意図・意味しようとしていたのかを探求することになります。制作者の意図というのは、近年の批評においては、むしろ積極的に無視されてきたものです。特に、構造主義批評が登場して以降、ロラン・バルトが「作者の死」と呼んだように、近代に誕生した作品を創造する主体としての作者が「死」を迎え、作者の意図を読解することの意義が相対的に低くなってきました。しかしキャロルは、その傾向に疑問を持ちます。作品の善し悪しを決めるのに、作者が何を意図して、その意図が作品の構成要素によって適切に実現できているかということは、根拠にもとづく価値づけには欠かせない観点だからです。
解明、解釈というステップを経て、分析、すなわちこの作者の意図、目的を踏まえて、その手段と達成度を測定するプロセスに到達します。ここでの分析の例として、キャロルは小説や映画などをあげており、ここで引用しづらいのですが、たとえばジム・ジャームッシュの『ブロークン・フラワーズ』を取り上げ、この映画にある実存的無気力という映画のテーマが、無表情で立つ主人公の固定ショット、セリフをしゃべる前の一呼吸の間などの映画的、劇的なテクニックによって強調されているという分析を行っています。
さきほどの解釈も、広義の分析に含まれるわけですが、キャロルはここでは、こうした作品の目的に対して、各要素がどのように目的の達成に寄与しているのか、もしくは寄与していないのかを指摘することを、分析と位置づけています。
こうした6つの作業が、最終的に「根拠にもとづく価値づけ」を支えることになります。
批評の執筆
今回、みなさんには批評文章を書いていただきます。ある作品を取り上げて、その作品や分野に詳しくない人が読んで、その作品の価値が理解できるようになるような、鑑賞に寄与する批評です。作品は自由に選んでいただいて大丈夫ですが、作品そのものを知らない人もいるので、授業の中で共有できるものにしてください(絵画や写真は共有しやすいですが、長編小説や映画などは難しいでしょう)。
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小山龍介のビジネスモデルノート
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