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都市緑化を、空間から時間へと再変換する

前回の記事で、都市緑化の概念が都市のアメニティという起源を持つこと。そして、そのアメニティは都市と田園地域との融合を図る、田園都市運動に由来するということを紹介した。都市緑化はその点で、都市のアメニティ向上の本家と言ってもよい活動なのである。

しかし、この都市緑化の概念は、アップデートが必要となっている。それは、ひとことでいえば、都市緑化の空間的展開から、時間的展開である。20世紀までは、空間的緑化ということだけが問題となっていた。しかし、ここに時間を導入する必要があるのである。

時間という概念を導入した場合、「循環化」と「歴史化」というふたつの要素が加わる。これは別の言い方をすれば、円を描く仏教的時間である「循環化」と、キリスト教的な時間である「歴史化」というふたつの時間が組み込まれるべきであるというのが、昨日の記事の趣旨であった。

人はついつい、時間を空間的に把握してしまう。たとえば、歴史の教科書の最初の方と最後の方、というふうに歴史は空間化されているし、古い町並みと新しい町並みというふうに都市空間の中でも時間は空間化されている。昨日あったことは、なんとなく直線グラフの左側に位置し、未来起こることは直線グラフの右の先に位置づけられるように感じ、同じロジックで、楽譜は左から右へと時間を空間化して表現している。

時間の流れというのは、人々にとって、実は理解するための難易度が高い。財務三表のひとつである貸借対照表は、2024年3月31日現在というかたちで、一点での財務状況を空間的に配置して表現するが、そこに時間を取り入れようとすると、表現的にも、理解のしやすさ的にも、格段に難易度が上がるのだ。

思い出すのが、エドウィン・アボットによる『フラットランド』という小説だ。1884年に書かれたこの小説は、書かれた当初まったく注目されなかったのだが、アインシュタインの相対性理論を先取りしていたという噂によって、20世紀になり再注目されることになった、奇妙な小説だ。

話はこうだ。1999年の大晦日、平面の世界「フラットランド」に住んでいる正方形のところに、三次元である球が訪れる。その球を、しかしフラットランドの正方形は、立体として理解できない。フラットランドの世界では、球は平面として理解される。すなわち、円の集合であり、その円の大きさは、フラットランドの平面との交点によって広がったり縮んだりする。

自分の存在する次元よりも大きな次元の存在、たとえば二次元にとっての三次元存在は、その次元を一つ落としたかたちでしか理解できず、その落とした次元は時間的な経過によって、なんとなく全体像が把握できるのである。それは三次元の世界、すなわち「スペースランド」の住民である私たちにも同じなのだ。

このように、時間によって変化するものとは、自分たちの次元を超えたものの、次元を落としたかたちとして表象される。私たちが変化しているものをみるとき、その背後にはなにか不変のものが存在しているかもしれないのだ。

物理学の世界の話で言えば、時間の矢が過去から未来へと一直線に飛んでいるのは人間の錯覚だという話もある。一段高い次元の世界に入ると、それは不変。時間など流れていないのだ。仏教の生々流転する色即是空の世界観、時間さえもないのだという世界観は、一次元高い世界からのメッセージなのかもしれない、などなど。

そんなSF的空想へと大幅に横道にそれたところで、もう一度、都市緑化という話に戻していこう。こうした時間を組み込んだ緑化の事例といえば、明治神宮があげられるだろう。約100年前、「永遠の杜」とするため、照葉樹を選んで植樹された神宮の杜は、今ではすっかりそうした人工林であることがわからないような鎮守の森へと変化している。産地に比べると水気の少ない明治神宮の土地に合わせて、設計したからこそ、森の成長が可能となったのである。100年後の風景を想像しながら都市緑化を進めるとき、彼らは「スペースランド」を超えて、もうひとつ上の次元からこの都市を眺めていたのかもしれない。

この意味で、全国都市緑化かわさきフェアは、そうした時間的な射程がやや短いように感じた。工業都市としての発展を象徴するパレットの活用も、それは工業的時間、ジョン・アーリに言わせれば「クロックタイム」にもとづくものである。この川崎という地域が縄文時代にどんな場所だったのか、多摩川の蛇行によってどんな変化が起こってきたのか、そしてさらに未来、それこそ人類が滅亡したあとにどのような風景が残るのか。

万年単位の「都市緑化」まで展開したときに、別のコンセプトが浮かび上がるように思う。川崎市、特に武蔵小杉周辺にとっては悪夢の2019年の台風19号による浸水被害から、おそらく意図的に今回触れられていない水との共生も、しっかり言及しておく必要があったように思う。

浸水により閉鎖中の川崎市市民ミュージアムは、今回の緑化フェアのメイン会場である等々力緑地において、今でも異彩を放っている。その外観を緑化するなんていうのは、さすがに陳腐な文明批判かもしれないが。

小山龍介
BMIA総合研究所 所長
名古屋商科大学ビジネススクール 教授
京都芸術大学 非常勤講師

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