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再帰的近代とポストモダン
ベック、ギデンズ、ラッシュは、近代化が前近代、近代、脱近代というふうに単線的に変わるのではなく、近代化を再帰的(リフレクティブ)に取り込んでいくことによって、近代を徹底していくことになるのだと考え、再帰的近代化という概念を提唱した。◯◯を近代化するというかたちで進んだ近代化が、その対象を失い、近代そのものを近代化するというのである。これは、「工業社会というひとつの時代全体の、創造的(自己)破壊の可能性」を意味する。
ウェーバーは、近代を、宗教的な世界からの脱魔術化と呼んだが、この脱魔術化の先にあったのは、環境破壊や伝統文化の喪失、世界平和や人権意識などの揺らぎなどの「リスク社会」(ベック)であった。幸せのために経済発展があったのに、経済発展そのものが目的化して、人々が不幸になる、といったことだ。DICが素晴らしいコレクションを持つDIC川村記念美術館を休館、縮小もしくは閉館をするという話は、その一例だろう。市場での評価が目的化することで、彩りで貢献するDICの理念が無視されてしまうのである。このように、近代化の徹底によって、人々はさまざまなリスクに生身のまま晒されることになった。
こうした自己目的化は、さまざまなレベルで起こる。あるルールが決まると、そのルールを読み込んだうえで行動する人々がでてくる。そのルールを読み込んだうえで行動する人々がでてくることをさらに読み込んで行動する人々がでてくる。そのように、正のループによってどんどん自己言及するかたちで、ルールが過剰適用されていく。
株式市場などはその最たる例だろう。自分が美人だと思う人に投票するのではなく、みんなが美人だと思う人を予測するこの「美人投票」(ケインズ)は、みんなが美人と思う美人への投票で終わるのではなく、さらにみんなが「みんなが美人と思う美人と思って投票する美人」と思う美人、みんなが「「みんなが美人と思う美人と思って投票する美人」と思う美人」と思う美人、というふうに、再帰していく。そこに、複雑な振る舞い、いわゆる複雑系が生まれ、それが予測不可能なリスクにつながっていくのである。
同じ近代以降を論じたリオタールのポストモダンの議論も、ここに関連する。リオタールは、啓蒙主義やマルクス主義、資本主義などの「大きな物語」がその説得力を失い、小さなグループが信じる「小さな物語」が多様に生まれ、その重要性が増すと予測したが、それは正しかった。今やロシアの「小さな物語」がウクライナ侵攻を起こし、ガザについても「小さな物語」同士の衝突と見ることができる。台湾を取り囲んで軍事演習をした中国の「小さな物語」もまた、近い将来に大きな災厄を起こしそうである。
再帰的近代は、そうしたポストモダンが「近代の再帰」によって起こるのだという機序を明らかにしたという点で、ポストモダンの議論と補完的だということもできるだろう。
小山龍介
BMIA総合研究所 所長
名古屋商科大学ビジネススクール 教授
京都芸術大学 非常勤講師
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小山龍介のビジネスモデルノート
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