アマチュア研究者ネットワークの可能性
近代において学問が在野の研究者によって広がってきた部分が大きいということは、よく知られている。『在野と独学の近代』という本を手に取ったのだが、そこで紹介されているダーウィン、マルクス、南方熊楠、牧野富太郎を始め、修道院で研究を進めたメンデルや、エンジニア領域で言えば、電気自動車メーカーの名前にもなっているテスラがそうだろう。今でも、島津製作所の田中耕一がノーベル賞を受賞したり、白川英樹や吉野彰は、旭化成時代の研究でノーベル賞を受賞している。
私なんかは、長年、実務家教員として教鞭をとってきた立場であり、アカデミックとは遠い世界を歩んできた。博士号も今年取得したばかりで、研究者としてはひよっこだ。その立場からすれば、アカデミックな世界で研究実績を積み重ねてきた人たちよりも、こうした在野の研究者のほうが、親近感を覚える。
この在野の研究者だが、イギリスで隆盛した。その理由の一つに、雑誌を中心とする在野研究者ネットワークがあったという。南方熊楠もロンドンに留学をし、そこで大英博物館図書館に入り浸り、『ネイチャー』などへの投稿を続けていた。帰国するまでに30篇以上、生涯で51篇の論文が掲載されたという。今とは違って掲載されやすい環境であったとはいえ、東洋から来た研究者がここまでの成果を残すというのはすごいことだった。
南方熊楠がロンドンに行く少し前、1857年から始まったオックスフォード英語辞典(OED)の制作も、多くの在野の研究者のボランティアに支えられてつくられた。いまのWikipediaのようなつくられ方をした。名前が表に出てこなくとも、厚い在野研究者リソースが、新しい知の発見、知の集積に寄与したのである。
広辞苑の編集者である新村出もこの現場に足を運んでいて、その前の世代の『言海』が大槻文彦の独力でつくられたのとは対照的に、協力体制のもと編纂されたのだという。
在野の研究者が独力ですばらしい発見をするということももちろんあるだろうが、もうひとつの可能性としては、ここに示されているように多くの人の力を集めて研究を進める、今風に言えばクラウドソーシング的な研究だろう。アカデミックの観点で言えば、不足する部分、ちょっといいすぎな部分など散見されるかもしれない。一方で、たとえばこの本でも紹介されている、当時の「民俗学」のような、アカデミックな世界で位置づけられていないような研究分野を深めていくのに、まず在野研究者が取り組んでいくケースなども考えられよう。
ということで、私自身は、もちろん博士を取っているのだから学問的に正しいことしか言ってはいけないという先生の意見ももちろん理解しつつも、在野研究者の気分でこうした記事を書いている。自分にはそちらのほうが合っていると思うし、今年から取り組みを始めているBMIA総合研究所などは、在野研究のプラットフォームとしての役割を果たせないかと構想中でもある。
小山龍介
BMIA総合研究所 所長
名古屋商科大学ビジネススクール 教授