レジリエンスの本質と意味生成のビジネスモデル
今月末に発行される日本ビジネスモデル学会の「BMAジャーナル」の編集後記を書いた。ジャーナルだとなかなか目に触れないので、ここにも共有しておきたいと思う。
レジリエンスの本質と意味生成のビジネスモデル
今回のシンポジウムのテーマは、レジリエンスであった。レジリエンスとは、予期せぬ困難や変化に直面したとき、迅速にその状況に適当し、回復する能力のことである。ビジネスにおいては、リスク管理や万が一の状況に対応する能力を指し、個人においては、心理的なレジリエンス、すなわち困難な情況においてもポジティブな精神的健康状態を維持する能力を、一般的には意味するだろう。しかし、この概念を聞くときに、個人的に最初に思い出すのが、ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』であり、実際にレジリエンス研究ではよく参照される。
フランクルはナチス強制収容所において、明日にでも死ぬかもしれないという極限状況での人間の強さと弱さを、医師ならではの冷静な視点でつぶさに観察した。そして、逆境においても生き延びた人たちの共通点として、人生に意味を見出していたということを指摘する。人生の意味が、レジリエンスを高める。一般にはこのように理解されているが、事態はもう少し込み入っている。フランクルは言う。「もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ」。フランクルが指摘したのは、生きることの意味ではない。「わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない」のである。ここにコペルニクス的転回があるとフランクルは言う。レジリエンスの本質が、ここにある。
たとえば、コロナ禍に巻き込まれ、多くのビジネスが困難に直面した。身近な人を失い、絶望に打ちひしがれる人も多くいた。このときに頭をよぎるのは、「生きていることにもうなんにも期待がもてない」という言葉だ。フランクルの上記の問いは、そうした絶望している人に伝えるべきこととして、示されたものである。この問いがいったいどのようにして絶望している人を救うのだろうか。この機序について説明するには、もうすこし『夜と霧』からのエピソードを引く必要があろう。
収容所で精神的に弱って力尽きている人たちのなかには、一見ポジティブに考える人もいた。前向きに考えることは、レジリエンスを高めそうに思う。収容所という過酷な場所にあっても、ものごとをポジティブに捉えられれば、それが生きる力をもたらしそうなものだ。しかし、そのポジティブな期待が、むしろ彼らを死に導いた。1944年のクリスマスと1945年の新年のあいだに大量の死者を出したのだが、その大量死の原因は、伝染病や冬の寒さ、食糧事情なのではなく、「クリスマスには帰ることができるに違いない」という素朴な希望だった。その根拠なき希望が当然のように打ち砕かれたとき、彼らは大きな失望に包まれた。そして、生きる力を失ったのである。「希望は何度も何度も失望に終わったために、感じやすい人びとは救いがたい絶望の淵に沈んだ。往々にして、仲間うちでも根っから楽天的な人ほど、こういうことが神経にこたえた」。
では、生き延びるためにはどうすればよいのか。フランクルはあるとき、どうしたら精神的な崩壊で犠牲者が出ることを未然に防げるか、収容所で仲間にじっくりと話す機会を得た。そのとき彼は、ひとりの仲間について語った。彼は、自分が苦しみ、死ぬことによって、愛する人間には苦しみに満ちた死をまぬがれさせてほしいという「契約」を天と結んだのだという。彼が苦痛を受ければ受けるほど、愛する家族は生き延びることができる。もちろんこの話には、さきほどの楽観的予測と同様、根拠はない。しかし、この契約こそが、彼に生きる力を与えることになった。彼の苦痛に満ちた生は重要な意味を帯びた。いや、生きることだけでなく死ぬことまでも、大きな意味を持つことになった。
生きることから何が得られるかと期待すると、そのあとの失望で力を失う。一方、困難な状況に置かれても、その困難を生きることが、わたしたちに何を期待しているのかを問うことで、生きる力を得る。ここにあるのは、同じ「生きる意味」を巡るものだが、そのスタンスは180度異なる。自己利益としての生きる意味から、目的としての生きる意味への転換である。レジリエンスの本質にあるのは、この困難な状況に対するこうした向き合い方なのだ。
このレジリエンスの本質は、ビジネスモデルという概念の課題も浮き彫りにする。ビジネスにおけるレジリエンスは確かに、サプライチェーンの冗長性や柔軟な組織構造など、ビジネスモデルに関することが多い。しかし肝心の、フランクルの問いはそこに含まれていない。困難に直面した状況において、その困難の意味を問うというのは、リーダーシップなどの領域に含まれるものであり、ビジネスモデルという仕組みの議論にはそぐわない。しかし、多くの人が実感するように、危機的状況における適切なリーダーシップの重要性は、強調してしすぎることはないだろう。
私はここで、ビジネスモデルというものの概念を、大きく転換する必要があるのだろうと考えている。それは、信念体系としてのビジネスモデルである。これについては少し、説明が必要だろう。まず、フランクル流のレジリエンスをビジネスに翻訳すれば、問いは次のように言い換えられるだろう。「企業が生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることが企業からなにを期待しているかが問題なのだ」、と。
コロナ禍において問われたのは、企業、いやその業界の存在意義であった。多くのエンターテイメントが中止に追い込まれる中で、コロナ禍は「私たちは、このまま社会にとって不要なものとして打ち捨てられてしまうのだろうか。それとも、社会に何ができるだろうか」と問い直す契機になった。業界が困難な中、生き残ることに意味があるとしたらなんだろうか。その問いは、フランクルの問い同様、自己利益から目的への転換である。
この議論を、パーパスというはやり言葉で着地させてもよいが、ここからさらにビジネスモデルに落とし込みたい。ビジネスモデルは、大きくはビジネスの仕組みということではあるが、そこには、「なぜその仕組みなのか」という意味のレイヤーが重なっている。フェアトレードは、その意味のレイヤーにおけるサプライチェーン構築のアプローチである。困難な状況に陥ったときに、私たちに、サプライチェーンを回復させようという強い意欲があれば、そのビジネスモデルは力強く復活するだろうし、一方でそのサプライチェーンに価値交換以上の意味がなければ、その回復には相当な時間がかかるだろう。場合によっては、ここぞとばかりに別のサプライチェーンに取って代わられるかもしれない。
これを、ビジネスモデルの「意味の冗長性」と呼びたい。物理的な調達ルートとしての冗長性ではなく、そのサプライチェーンを維持する意義について、二重三重の意味を重ね合わせていくということだ。コロナ禍において、たとえばGOTOキャンペーンで全国の観光業や飲食店の支援が行われた。もっとも大きな打撃を受けた業界ということもあったが、その理由のひとつに、さまざまな一次産業や各種サービス業、交通インフラなどの地域経済のエコシステムの重要な構成要素であったことがあげられるだろう。その中には伝統産業のような、一度失われてしまったら二度と回復できない、いわばフラジャイルな存在も含まれていた。私たちは、物理的な世界だけで生きているわけではなく、こうした意味の世界で生かされている。この意味で、複雑系ネットワークの中で存在する、目的論的な水準でのビジネスモデルが議論されるべきなのだろう。
そしてもうひとつは、こうした目的論的水準のビジネスモデルは、ステークホルダーにとってひとつの信念体系を構成するということに言及したい。たとえば、多くの「信者」をもつAppleは、そのビジネスモデル自体がある種の「世界観」を提示している。Appleの顧客は、単に機能的な優位性やコストパフォーマンスによって製品を選んでいるわけではない。美学的なデザイン哲学、ユーザーエクスペリエンスを軸とした一貫した価値観、そして「Think Different」に代表されるイデオロギー的メッセージ、近年は、いち早く再生可能エネルギーへの移行やカーボンニュートラルの推進、再生可能素材の活用を進めるなど、Appleはその製品を通して「こうありたい」「こうあるべきだ」という理想像を示し、それを顧客と共有してきた。それは、単なる製品の選好ではなく、Appleという企業が発信する「意味」に共感することで成り立っている関係性である。
このような関係性は、たとえ供給網が一時的に乱れたり、市場環境が激変したりしても、顧客やステークホルダーに「なぜこの企業を支え、選び続けるのか」という意味を与えることになる。また、Appleとその従業員もまた、Appleが存在し続ける世界に対するコミットと、直面する困難を乗り越える意味を見出すことになるだろう。Appleは、物理的な製品を売るだけでなく、信念体系としてのビジネスモデルを構築してきたのである。これが人々がAppleという存在を「回復させる価値がある」と感じられるための基盤になるのだ。
このような「意味の冗長性」が内包されたビジネスモデルは、まさにレジリエンスそのものと同義だ。困難な状況下で問い返される存在意義を多層的に構築しておくことによって、ビジネスは単なる経済的な取引を超えた、豊穣な生態系として機能し続ける。このようにして、ビジネスモデルは経済的合理性や効率性を超えた場として再定義され、困難に耐えうる力=レジリエンスを実装していくのである。この意味で、ビジネスモデルは意味生成の場であり、そこにこれからのビジネスモデル実践と研究の重要なテーマがあるように思う。
小山龍介
BMIA総合研究所 所長
日本ビジネスモデル学会 BMAジャーナル編集長
名古屋商科大学ビジネススクール 教授
京都芸術大学 非常勤講師
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