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変貌するシルクロードの国・ウズベキスタン鉄旅:④危うく列車に乗り遅れるところだった
2019年8月、私は中央アジアのウズベキスタン共和国を鉄道で旅行した。そこで見たものは、シルクロードの国の深い歴史と変貌する現代の姿、そのなかを生きる庶民の息遣いだった。あれからコロナ禍があり、ロシアのウクライナ侵攻があり、ウズベキスタンをめぐる状況も大きく変貌した。しかし、あの時、ウズベキスタンで見聞したことは今でも変わらないものがあるだろう。2023年5月の時点で、ウズベキスタンの旅を振り返ってみたい。
とんだハプニング
8月16日の夕方、ブハラからサマルカンドへ向かった。
ところが、このときは危うく列車に乗りそびれ、取り残されるところだった。
この日は、旅行社に16時10分ブハラ発でサマルカンドまでのチケットを手配してもらっていた。私は当然これもアフラシャブ号だと思っていた。
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駅に着くと15時38分発のアフラシャブ号が止まっていたので、割と頻繁に走っているんだなあと感心していた。
隣には「鈍行列車」らしきものが停まっていて、それはそれとして乗ったら面白いだろうなとは思っていた。次の写真の左側がアフラシャブ号、右側=鈍行列車らしきものである。
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さて15時38分発のアフラシャブ号が出発して、すぐに16時10分発のアフラシャブ号が入線してくると思いきや、いっこうにその気配がない。待合室にもそれらしきお客がいない。
まさか、あの鈍行? 16時過ぎになってそう思い、駅員にチケットを見せると、その「まさか」だった。慌てて、指定の1号車まで走っていき、なんとか乗れた。
この列車を取り逃がしていたら、次の列車があるのか、あってもチケットが取れるのか、考えただけでもゾッとする。海外旅行では、たいがいこうしたハプニングに遭遇する。
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さて、乗った列車は鈍行ではなく、急行ぐらいクラスだった。チケットで指定されていた席は4人がけのコンパートメントでリクライニングシートだったので、まあまあ良い席だったのだろう。
コンパートメントごとに電源が2つずつ付いていたので、iPhoneのバッテリーが切れかかっていた私としては助かった。
静かな交流
4人掛けのコンパートメントで一緒になったのは30歳代ぐらいの夫婦とその娘の5歳ぐらいの女の子。ちょっと気まずい感じだが、英語も話せなそうだし、黙っているしかない。夫婦は仲良さそうだが、あまり会話はなくそれぞれスマホを見ている時間が多かった。親子の会話もあまりなく、女の子は一人で機嫌よく遊んでいた。なので私だけぽつんと孤立するわけでもなく、楽だった。途中、女の子がお母さんにいわれて、私にビスケットをくれた。それにたいして、私もウズベク語で「ラフマト」(ありがとう)と返すと、ちょっと場が和んだ。これだけでも十分だ。
車内販売は、やたら声の大きなおじさんが、コーラやファンタ、ビール、お菓子類を入れたカゴを持ち、「コーラ、ジュース」と叫びながら売り歩いていた。
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観察していると駅と駅の間隔が長い。ウズベキスタンでは、おそらく鉄道は長距離移動の手段とされ、日本のように近郊での移動のために使うという考えがないのかもしれない。ただ、首都タシケントでは古くから地下鉄が走り、これから行くサマルカンドでは最近トラム(市電)が復活したので、今後、鉄道の近郊利用も進むのかもしれない。
(つづく)