変貌するシルクロードの国・ウズベキスタン鉄旅:⑤誇り高き古都サマルカンド
青の都
8月17日は、いよいよ「青の都」といわれるサマルカンドを見て回った。
ここもブハラと同様にオアシスから発展した古都だ。ペルシャ、アラブ、モンゴル、ロシアなどに入れ替わり立ち替わり支配された。だがその一方で、ティムーム帝による一大帝国の拠点となり、周りの地域に版図を広げた。ティムール帝国時代には、版図全域から優れた科学者、宗教学者、文学者などを集めた高い文化を作った。現在のウズベキスタンとしては、このティムール帝国の時代をもっとも誇らしい時代としている。
写真は、ティムール帝ゆかりの人々のお墓がたくさんあるシャーヒズィンダ廟群である。廟の建物が美しい青色の彩色がなされているため、「青の都」と言われている。
心洗われる祈り
シャーヒズィンダ廟群の一番奥にあるクサム・イブン・アッバース廟は最も神聖な場所に思えた。
クサム・イブン・アッバースは、預言者ムハンマドの従兄弟で、その昔、布教のためにこの地に来て礼拝をしていたところ、異教徒に首をかき切られた。しかし、それにも動ぜず、自分で自分の首を持って地下の井戸に入って行ったという伝説が伝えられている。彼はこれにより永遠の生命を得て、イスラム教が危機に陥った時に救世主として現れるとされている。
その廟のさらに一番奥の部屋の金網の向こうにアッバースの墓石が見えていて、人々はここでお祈りを捧げるようになっている。わたしが訪問した時に、ちょうど聖職者の方が祈りの言葉を唱えていた。その声があまりに美しいのでビデオに撮らせて頂いた。ブハラのモスクは宗教色が感じられないと書いたが、ここは真逆だ。神の世界と交信するような神聖さを感じる。異教徒の私にとっても、心洗われるようだった。
最もエキサイティングが巨大な神学校
サマルカンド訪問で最もエキサイティングだったのは、定番の観光地ではあるが、レギスタン広場の横にある次の3つ巨大なメドレセ(神学校)の建物だった。
①ラティカリ・メドレセ
②ウィルグベク・メドレセ
③シェドル・メドレセ
このなかで、1番すごいのが①ラティカリ・メドレセだった。次の3枚の写真がそうだが、内部の礼拝堂に壮麗なる金箔が貼られている。金箔ギラギラなんて趣味が悪いと思っていたが、この装飾は下品さがなくて、人を圧倒するような、まさに「壮麗」という表現がぴったりのような気がした。
天井を支えるミナレット(光塔)
②ウィルグベク・メドレセは、ウズベキスタンの歴史的ヒーローの一人、ティムール朝第4代皇帝にして学者であったウィルグベクが1420年に建てたものである。同じ趣旨、名前のメドレセがブハラにもあった。良く見ると右側にそびえたつミナレット(光塔)がすこし傾いている。これは天を支えるという意味らしい。
偶像崇拝禁止なのにシラッと人物や動物を描く
③シェドル・メドレセの特徴は、アーチの装飾の一角に子鹿を追うライオンと、ライオンの背中におどけた人物の顔が描かれている。偶像崇拝をご法度とするイスラム教では、こういうところに人間や動物を描くなんてありえないのだそうだが、シラっとやってしまうところが面白い。
イスラム科学の頂点
ティムール帝国の第4代皇帝であったウィルグベクは、政治家であると同時に優れた天文学者、数学者だった。そのウィルグベクが作ったとされる天体観測施設がサマルカンド郊外にあり、見学した。それは、地下に埋まった巨大な六分儀である。
六分儀とは、天体と地平線の角度を測る装置で、小さな六分儀は航海中に自分の位置を推定する目的に使われ、このように巨大なものは天体観測に使われる。当時は、高さが40メートル(うち地下部11メートル)あり、それらが高さ30メートルの大きな建物に覆われていた。
ウィルグベクらは、この巨大な六分儀を使って、恒星時1年間(1年間の長さ)を365日6時間10分8秒と測定した。これは、現代の精密な測定装置で測った365日6時間9分9.6秒と、誤差は1分にも満たないほど正確である。
これは8世紀から15世紀にかけて発展したイスラム科学の頂点の一つだと思われる。その当時はヨーロッパよりもイスラム世界の方が科学は発展しており、それがヨーロッパに伝えられて近代西洋科学の基礎になったと言われている。
しかし、こうしたウィルグベクらの先進的な取り組みは保守的なイスラム宗教界から嫌われて暗殺され、この天文台も破壊された。ウィルグベクは今でもウズベキスタンの人々の英雄である。
(つづく)
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