不登校の子って強いんだなって思った日の話。
大学時代、私は色んなことに手を出していた。
海外ボランティア、田舎の町おこし、NPO法人の広報、貧困層向けの無料塾…etc.
いつも何故か「生き急いで」しまうのが、私の長所でもあり短所でもある。
こんだけやっても物足りなかった。自分に自信が無かったのだ。
私の興味の中心にあるのは、「子供」だった。幼少期の経験が人間形成の根本を作っていると思ったからだ。大人になってみて周りを見てみても、家庭環境、いじめ、恋愛のトラウマ…etc.に捕われている人を沢山見た。この人たちは100歳になってもそれに捕らわれて死ぬのだろうか。そんな疑問が行動の原点だった。
ある時、フリースクールに行ってみたことがある。
ビルの2階にひっそりと佇んでいた。
エレベーターを上がると、別に子供のわっきゃっした声が聞こえてくる訳でもなく、静かだった。
よくあるような白い扉の中に、教室があった。
そこでは、数人の高校生が勉強していた。NPO法人がやっているフリースクールのため、高卒資格は自分で試験を受けて取らなければならない。
大学生のインターンとして来ている人がいた。彼はここ出身、私と同じ大学に入っていた。
ここは、高校生がわからないところがあったら質問をして、大学生や社会人スタッフが勉強を教えるという1対1のフリースタイルだ。
その場にいた高校生の女の子に話を聞いてみた。
よくよく話を聞いてみると、私の高校時代の志望校と彼女の志望校はそっくりだった。彼女のサブカルチャーな趣味も私と似ていた。
そのまま自らの受験対策を享受した。女の子は嬉しそうだった。
私は正直驚いた。
だって、女の子のことを"違う世界の人間だ"と思っていたからだ。
学校に行った私も、行かなかった彼女も同じ人間だった。
私はその経験から思い込むことの恐ろしさを知った。
「行かなかった子」はおかしくなかったし、暗くもなかった。頭が悪い訳でもないし、尾崎豊イズムを持ち合わせてもいなかった。自分と合わなかったからそういう選択をしただけの、普通の女の子だった。
知ろうとしない自分の愚かさに気づいた。
私の周りに学校に行かなかった子はいなかったし、貧困に苦しんでる子もいなかった。この世では遠い世界のようなお話がいっぱいある。でも、世界では自分の同じような女の子でも、認めてもらえない子がいっぱいいる。
そんな想像力を働かせたら、誤解は消えるのだろうか。
ふと思った。
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