『追想五断章』著:米澤穂信
序文-元気はもらえません
※ネタバレはもちろんございます。
小説を読む人間なら、「人間」に対するギャップを
フィクションとノンフィクション(現実)との間で一度は感じることがあるだろう。
我々が日常でよく遭う人々は「キャラクター」達とは違い
夢とか確固たる信念なんか持ち合わせていないし
ましてや「運命の出逢い」などなかなかやっては来ない。
とかくそういった「肩透かし」を食らって我々読書人は生きていかなくてはならない
しかしである。
小説にも関わらず、本作はけっこう現実的である。
なので
小説を読んで「元気をもらおう」などという人種は心してお読みいただきたい。
むしろ、"現実的に"暗いところが魅力でさえある。
舞台設定
なにしろ、バブル崩壊直後
実家が苦境に陥り、学費払えず休学中の若者が主人公だという。
・異世界ものとか、都合のよすぎる舞台設定を受け付けない
・20代で、生まれてこの方ずっと「景気が悪い」と言われ続けている
↑そんな私はここで引き込まれた。
著者は以前、『ユリイカ』という雑誌のインタビューで
「主人公が世界の謎に主体的に向かい合う話はあまり好きではない
(私のうろ覚え)」
と語っていたが、その辺りの方向性と舞台設定が結びついた作品が本作ではないかと私は思う。
つまり、学費がほしい主人公(芳光)が金のために
父の遺したリドルストーリー(断章)を探してほしいという依頼人(可南子)
に付き合う話であり、そこには"小説らしい"夢やら想いはない。
(断章に込められた謎は引き込まれるものがあるので、ご自身で読んで頂きたい)
もちろん、芳光が依頼を完遂できたところで復学できる程の金は得られないので、「断章探し」は所詮、若い主人公の現実逃避なのだ。
その救われなさ、暗さがいい。
説教くささという不純物がなくて、それで何度でも読み返してしまうのだろう。
人物
登場人物も、本作の薄暗さに華を添えている(皮肉なものだ)。
主人公たる芳光は前述した通りの境遇で、生まれは掛川であるが、東京にとどまる理由づけのため、伯父が経営する古書店に居候している。
なお、東京にとどまって何をするのかは本人にもこれ、といった策はなく
時間ばかりが過ぎていく。
芳光の父は町工場をやっていたが、バブルが弾けた上死んでしまい、芳光の学費が尽きてしまったのである。
伯父はといえば、
古書店経営者ではあるものの、商売へのやる気を失い、
店番を芳光に任せパチンコ屋に行くことが多くなっている。
それには理由があり、
バブル期に店の土地を売り払うか、亡き妻との思い出が詰まった店を守るか
迷った末、売り払おうとしたら
バブルが弾けてしまったのである。
今更土地を売ったところでどうにもなりはしない。
そのまま芳光を古書店に受け入れ、惰性で店を続けている。
このような登場人物の中で、まだ華々しい印象を与えるのが北里家の父娘だ。
古書店に、父が遺した断章を探してほしいと依頼するのが北里可南子(20代)
当然、芳光あての依頼ではないのだが(あくまでも店主は叔父)、可南子が提示した報酬に惹かれ、芳光が仕事を奪い、本作のストーリーが動くわけである。
両親の新婚旅行時に母親を喪っており、その経緯が断章に込められていることが
やがて明らかとなる。
その父が北里参吾(故人)
「叶黒白(こくびゃく)」などという筆名で、様々な雑誌(同人誌など)に
リドルストーリーを寄稿(職業作家ではない)、
女優(可南子の母)と知り合い結婚し、1970年代にスイスへ新婚旅行へ行くなど、
芳光の家族とは対照的にとにかく派手な男である。
しかし、妻の死に関わる疑惑をマスコミにかけられ松本市で静かに暮らすようになる。
それでも、芳光が断章を探す過程で
かつての参吾の知人と遭えば、
彼がかなり印象深い人物であったようであることが窺える。
インターネットもない時代に、短編とはいえ小説を発表するなど珍しい存在であっただろう。
構造
基本として、
大学に戻れる見込みはなく、しかし東京に未練がある芳光とその家族
何をしようとも派手な参吾とその娘
が対比して描かれている。
後者には惹きつけられる「物語」があり、
前者はバブルに振り回され、米澤穂信の手によらなければ下手なドキュメンタリーでしかない。
芳光は断章をなかなかの手際で探し出すものの、それで得られる報酬では彼の人生は切り開けず、
読者たる私には現実逃避にしか見えなかった。
久瀬笙子
という芳光がいる古書店の同僚(女子大生)とナニかあるのかと思いきや、
そんなことすらない。(米澤作品にそれを求める方が野暮というものである)
米澤作品の「主人公」について
このように、華のない芳光君であるが、米澤作品の主人公には
「事件」の当事者が本当に少ない。
先述した、「主人公が世界の謎に主体的に向かい合う話はあまり好きではない」という著者のポリシーがそうさせているのか、
『氷菓』しかり、『さよなら妖精』を見るに事件の後追いを、テキスト
(本作では断章)を用いて行うことが多い。
そこがいい
光の当たらない主人公、という概念を生み出したからこそ人気作家になり得たのではないだろうか。
そして、もっとも「光の当たらない(むしろ暗い)」ものが本作である。
眩しくないので、逆に読みやすいのかもしれない。
救い
だが、芳光はただ現実逃避をするだけではなく、
終盤では東京での生活を諦め(復学を諦め、古書店を去る)、次の道を探る。
非常に地味だが、主人公らしい。自分を乗り越えたのである。
そして、
「僕はもう、大学に戻れる見込みはない。伯父の家にもいられない。だけどこれは僕の仕事です。叶うなら、終わらせたい」
と謎を解く。そしてエンディングを迎えるのである。
結末は、可南子から芳光への感謝の手紙という形で締めくくられている。
そこには、芳光は依頼に誠実であったと書かれている。
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我々には、芳光の幸運を祈るしかない。
そして、かような「暗さ」で読者を惹きつける著者の才能に驚かされるばかりだ。
この暗い作品世界を生き抜いた芳光こそ、一周回って主人公と呼ばれるにふさわしいのかもしれない。
ちなみに、北里家がある松本市には行ってみたいと本作を読んでからずっと思っていた。
「深志の地」なんてかっこいいじゃあないか。
絶対行きます。
以上