ポエトリースラムジャパンと自分の創作と障害とこれからと
先日、ポエトリースラムジャパン東京大会Cに参加してきました。
http://poetryslamjapan.com/
こういうものが何もかも初めてな自分は発表時に足がガタガタ震えながらもなんとか自分の書いた詩を読み終えたわけであります。全体で24人参加で、自分はDブロック6人の中に属していたものの、もちろんブロック予選で玉砕でした。今回参加された方、上位入賞で全国大会に行かれる方々も口々に「今回の審査は厳しい!」と感想を聞きました。それでも高得点を叩き出せる人たちの力量に引き込まれてしまいました。
参加したあとの自分のツイから少し抜粋します。
ポエトリースラムジャパン東京C大会終わったー。詩も人も表現もフリーダム。こういう世界もあるんだなって初めて参加して良かった。差別的なものでなければうんこもちんこもまんこも言葉の海でどこまでも自由に泳がせられる。自分は感覚的に書いていたほうだから、それもいいんだって目から鱗だった。
一時期、詩をブログに載せてたことがあったけど、誹謗中傷や2の落書きのようなこともあって引き上げてしまった。ただそういうのがあるのも良いサイトだって参加された方からお話があった。今はnoteだけだが、これを機に週イチでアップしてもいいのかなって思えてきた。表現の積み重ねも大事だね。
改めて詩の創作に関して言うなら、自分はその日に起きたこと目にしたこと感じたことや毎日のニュースから直感的に書くんです。ちなみに今日朗読した詩も『8/31』というタイトルで、夏休みを終えて9/1に自死する中高生が多いことから自分のことも重ねて書いた。
(抜粋終わり)
自分自身、創作からはしばらく離れていました。そのときの精神状態があまり良くなかったのも重なりました。良くなかったなりに言葉は出るものかもしれませんが、そういう気力すらなかったんでしょう…
その当時はブログやMySpaceを使って発表はしていました。しかし自分のネット上の経験からなのか、どこかで揶揄や中傷があるとそれがたったひとつでも自分にとっては大きなダメージになっていたんです。コピペしてWordに移して、そして紙にも印刷して、すべて引き上げてしまいました。
そこから何度も自分の頭に言葉は思い浮かぶのだけど、書き起こす書き留めるまでには至らず、自分のそのときの状態にもより、創作を再び始めるまでには思い至らなかったんです。
詞先の作詞家のように詩を書いていたのは10代後半から、どこかに自惚れもあった自分は母方の実家のワープロを数日借りては返すの繰り返しをしながら稚拙な詩を書いていたように思います。そのときの詩を実家に帰ったときに見つけて、薄くなった感熱紙の文字を大事に取ってあります。そのときの言葉も自分にとっては大事なもので、それがずっと続いていたのにあるときから自分の言葉にためらいを覚えてしまったんでしょうね。そのときに何故そんなに多く買ったのか分からない無印のルーズリーフの束がそのまま今もたんまりと残っています。
そして自分は大人になって37になったときに『その他の心理的発達の障害』と診断を受けました。そのときは就労移行支援事業所で訓練を受けながら就職に向けていろいろと取り組んでいたのですが、とあるときにスタッフの人とやり取りをしていたときに発達障害ではと言われて関連施設に問い合わせして面談を何度も行ったのちにクリニックに行ってその診断が下りました。言われたのが「自閉症、アスペルガー、ADHDのそれぞれをかじっている状態」であるとのこと、これまでにも仕事をする中でも発達障害の人が特に言われるという「臨機応変」がどこにいても苦手だったし、先日もそれで今の仕事場でひと悶着があって出社が怖いくらいにひどい苦しみがあり、なのに一般的には怠けているような感じに見えてしまうというしんどさを抱えています。
因果関係はないかもしれませんが、そのときにその就労移行支援事業所のスタッフの人や今もお世話になっているNPOの方からは口に出すのは苦手だけど文章はまとまっているんだから自信持ちなさいって言われたことを思い出します。国語や現代文の成績はあまり良くなかったし、その頃は今よりも読書も多くしなかったのに何故なんだと今でも不思議ですが…
1歳くらいのときに、あまりにも言葉を話さないものだから自閉症かもしれないと心配して病院に連れて行ったことがあると母から聞きました。時を遅くして話し始めたからそうじゃなくてよかったとは言っていたけれど、そこは大人になって自分が発達障害と分かるまで見過ごされてしまったんでしょうね。ただ母が言うには「あんたはひらがなよりもカタカナを覚えるほうが早かったと思ったよ」とのことで、直線的だし感覚的に身に入ったんじゃないかと言っていました。
改めて。
昨日ポエトリースラムジャパンのあの場所に無謀にも参加したのは自分にとっても良かったのかもしれません。ブロックのトップバッターだったからかもしれませんが、あのときに起きた脚の震えはまだ忘れられませんね。
この世には無数の人がいて無数の言葉があって無数の表現方法があって、比喩的なモノをあまり使わない直感的に書く自分にとっては本当に良い経験でした。確かに自分は小説的なモノよりもエッセイとか新書とか新聞とか普段のニュースや自分に起きた出来事から考えることのほうが多いので、ひとつのモノやコトから想像の世界を広げて展開するような表現も学ばないといけないなぁと思いました。あと場数を踏むことでしょうか、そのときの自分の懐と心が許す限りになるでしょうが。
そして自分のネタを頻繁でなくてもできる限り作ってみようと思いました。自分の言葉でしかできないことは必ずあるので、差別的なモノにはしないことを前提に、自分が使わないであろう言葉も使って発してみるのもいいのかなぁと感じました。無印のルーズリーフ、たんまりとありますし。
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