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アルファベットと数字の暴力から解き放たれるとき

おそらく、統合失調症の陽性症状を確認したときがあった。
私は妄想に取り憑かれていて、
今振り返ると面白いくらい何かが行きすぎていた。

私は、人間が大なり小なりする選択の一つ一つは、
結局のところ生存戦略であると確信していた。
だから、電車のホームで座った席の隣に若い女性が何人か座っただけで、
この席を選んで正解だった。私は守られている。
とか思っていた。

私は、近所のデリに行く時にサイレンの音を聞いたら、
今日はそこにいくなということで、
私が傷つく事が何かしら起こるから行くなというサインだ。
と本気で思っていた。

そもそもサイレンやバイクが走る音は心臓をドキドキさせてるし、
きっと生まれた時に実験台に選ばれて、
耳か脳にチップを埋め込まれて、
私の心臓を止めないように誰かが見張っているんだ。
とか思っていたりして、すごいよね。

中でも1番悩まされたのは、
イニシャルや名前の偶然、番号、数字、
それらのシンクロニシティの多さだ。
それもほとんどがネガティブな解釈しかできなかった。
まるで宇宙にいじめられてるんじゃないかと思うくらい、
脳みそがおかしくなりそうだった。

たまたま仕事先で出逢った人の名前が、
その時デートをしていたひとの元カノの名前だったり、
どうしても思い出したくない人の誕生日やイニシャルが
Instagramに何度も登場しては、
よくない想像だけが膨らんでいった。

ふと顔を上げて時計を見ると、
私を傷つけた人を思い出させるような数字の時間帯で、
その10分間、1時間は生きている心地がしなくなった。
それは毎日訪れるから、本当に辛かった。

ただ、全ては”私”が引き寄せている現実だと思った時、
不幸な偶然は少しずつなくなっていくことに気がついた。

アルファベットや数字の可能性なんて、
とんでもなく大きな確率であり得るものだ。
そう悟った。
とてつもなく数学脳とでもいいますか、とても科学的に、美しく。

もしかしたら、ご自身で統合失調症を使いこなすことができるようになったプロの方々には理解していただけるかもしれないが、

私は、この悩みを誰かにしっかりと伝えたいと思っても、
周りの人たちはどうも無意識で、かつ前向きで、
その不慣れなファンタジーを楽しんでいるように見えるから、
なかなか言えないのだ。

私からしたら、
彼らの病的レベルが低すぎるのだ。

苦しいのは、私じゃない誰かのイニシャルや数字で喜んでいるように見えるから、いつも私は捨てられるんだという根強い不安が根底に残った。

私の火星とドラゴンヘッドは12ハウスで、
海王星とハードアスペクトの角度をとっているから、
信じると決めた占いの知識通りに考えてみた結果、
私にはひとびとの潜在意識が可視化したことを誰よりも早く気づく事ができる才能があって、
だから、他人のそれが自分のこととごちゃ混ぜになってよくわからなくなるのだというとに納得がいった。

それらのひとつひとつが目の前に現れるたびに、
科学脳に切り替えて、
パンチパンチパンツで乗り越えていく。

ただの勘違いであるとまず考える習慣は予想以上につきづらいものであるのだが。
シンクロニシティというのはもっと深いものであり、
その感覚も憶えているので、そことの区別はしっかりとつけるように。

最近じゃ、また心臓がバクバクするような偶然を目撃したら、
急にサイレンやクラクションが鳴る。

ああ確かこれは、
私の不幸な思いつきをかき消して、
忘れさせてくれる音だ。

生きていかなければならない。

見たくないものを見れない性格のせいで、
誰かを傷つけてしまっても、私は生き残るために自分を守らないといけなくて、あなたのことは好きだけど、あなたが吐き出した自分に関係のない言葉をを、次第に自分のものにして責めてしまうような性質を持ってしまったんだ。

ごめんなさい、こんな性格で。
幸せにしたいから、もっと頑張るね。

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