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映画「キンキーブーツ」を観て

11月30日、「キンキーブーツ」という映画を観た。2005年のアメリカ・イギリス合作映画で、原題は「Kinky Boots」。ジュリアン・ジャロルド監督の作品だ。

キャストは、チャーリー・プライス役のジョエル・エドガートン、ローラキウェテル・イジョフォーローレン役のサラ=ジェーン・ポッツ、ドン役のニック・フロストなどである。

桟橋の上にいる寒そうな少年がベルト付きの赤いハイヒールを履き、踊りだす。その様子を年配の男性が窓から見て注意する。一方、別の少年は家の靴製造工場を継ぐことよりもサッカーに興味がある。
時は流れ、チャーリー・プライスはイギリスの田舎町ノーサンプトンの伝統ある紳士靴メーカー 『プライス社』 の跡取りだったが、周囲の重圧に耐えかね、転勤を機にロンドンに移住することを計画していた。
しかしロンドンに到着したその日に父の訃報が届き、『プライス社』 を継ぐことになり、しかも社の財政状況が火の車だということを知る。在庫の処分のためロンドンへ出張中にやけ酒を食らった勢いで、酔っ払いのチンピラに絡まれている美女を助けようとしたが、逆に美女に誤って叩きのめされてしまう。目が覚めるとそこは不作法なドラァグ・クイーンのローラ、本名サイモンの楽屋であり、その人物は桟橋で踊っていた少年の成長した姿であった。ドラァグ・クイーンには専用の靴がないため仕方なく女性用の靴をはいているが、ハイヒールは男性の重く大きな体を支えきれずに簡単に壊れてしまうことにチャーリーは興味が湧く。
ノーサンプトンに戻ったチャーリーは人員整理をしている最中、クビにしようとした社員のローレンに「ニッチ市場を開拓しろ」と捨て台詞をはかれる。そこでチャーリーはローレンを顧問として再雇用し、ローラのためのハイヒールのブーツである『女物の紳士靴』 の開発に着手し、そこにローレンの言うニッチ市場を見出す。しかし最初のデザインは機能性を重視するあまりにオバサンくさいブーツに仕立ててしまい、ローラを怒らせ、チャーリーとローレンはローラをコンサルタントとして迎える。しかし道は険しく、男性従業員の多くはローラの登場と新商品製作を快く思わず、チャーリーも婚約者のニコラとの関係がぎくしゃくし始め、「工場を売ってしまえ」と責められる。
ローラの意見を取り入れ、『危険でセクシーな女物の紳士靴 (Kinky Boots)』 を作り上げたチャーリーは、ミラノの靴見本市に打って出る決意をするが、ローラを含む多くの従業員に重労働を強いたため彼らは出て行ってしまい、事態は悪化する。
チャーリーは工場を守るために家を抵当に入れるが、それを知ったニコラは激怒し、工場を売ることを主張する。しかしチャーリーは工場を維持し従業員を雇用し続けることを決心する。この口論はマイクを通じて工場全体に放送され、ローレンとローラと不仲のドンに聞かれる。以前にローラから恩を受けたドンは、偶然ではあるがチャーリーの考えを聞いて他の従業員たちを呼び戻し、靴の製造をチャーリーとローレンがミラノに出発するのに間に合わせる。
無事ミラノに到着したチャーリーとローラだったが仲違いをし、新作ブーツのモデルがいない状態になってしまう。そこでチャーリーは従業員への感謝の最大限のしるしとローラへの謝罪の気持ちを併せ、自らがモデルとしてステージに上がる。チャーリーが慣れないハイヒールで滑って転んだその時、ローラとドラァグ・クイーン仲間が登場してランウェイで見事なショーを行ない、事なきを得る。
後日、ローラは自身のショーでノーサンプトンの「キンキーブーツ工場」の栄誉をたたえて歌う。このショーには工場の従業員達が招待されており、その中には恋仲となったチャーリーとローレンの姿もあった。

出典:Wikipedia

といった内容。

で、観終わっての感想。

ニッチな市場に再起をかけるチャーリー社長

ニッチな市場って、もしかしたら世の中に転がっているかもしれない。
そんなことを思わせてくれる映画だった。誰かが困っている。そこには、必ず市場が存在するわけで、そこを馬鹿にするのか、ターゲットにするのかで大きく運命が変わるかもしれない。
会社を継ぐつもりもなかった、チャーリーはそこに社運を賭けるのである。

何だか、ローラがカッコいい

この映画の中のローラがカッコいい。
多くの偏見がある中で、彼女は生きていたであろうことが想像できる。
でも、その誰に何を言われようと我が道を行く姿は、一人の人としてカッコよすぎる。そして、心の奥にある人を思いやる気持ちもイイ。

チャーリーはやはり、創業者の息子だった

冒頭からのチャーリーのやる気の無さは、2代目はこんなもんだろ?的なものを感じてしまう。しかし、父が亡くなったあと、やはり創業者の血なのか本来の姿を出す。父親が小さい頃から、将来の経営者としてすべてをたたき込んでいた。だから、父親の気持ちが乗り移るように再建に乗り出したのだと思う。

観終わった時、性の偏見は一切なくなるかもしれない。

もともとボクは、性別に対しての偏見は持ち合わせていない。
それでも、この映画を観い終わったころ、それは更に固められたような気がした。そんな映画だった。
男女である前に、人。
あたり前のことであるが、
なかなかそれを払拭できないのが人間なのかもしれない。





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