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映画「アメイジング・ジャーニー 神の小屋より」を観て
11月30日、「アメイジング・ジャーニー 神の小屋より」という映画を観た。2017年のアメリカ映画で、原題は「The Shack」。スチュアート・ヘイゼルダイン監督の作品だ。
キャストは、マッケンジー(マック)・フィリップス役のサム・ワーシントン、ナン・フィリップス役ラダ・ミッチェル、女性の姿で現れた神役のオクタヴィア・レノラ・スペンサー、サラユー役のすみれなどである。
子供の頃、マッケンジー・フィリップス(マック)は飲んだくれの父親から虐待を受けていた。父の暴力は母親にも向けられていた。そんな父親に憎しみを募らせていったマックは、13歳の頃、父親をストリキニーネで毒殺した。そんな子供時代を送ったマックだったが、大人になってからは慈悲深い性格となり、妻のナン、子供のケイト、ジョシュ、ミシーの4人と幸福に暮らしていた。
しかし、マックの幸福な生活は突如として崩れ去った。キャンプ場でカヌーを楽しんでいたとき、カヌーが転覆するという事故が発生したのである。マックはケイトとジョシュを救うことができたが、目を離している隙にミシーが行方不明になってしまったのである。キャンピングカーから血の付いたミシーの衣服が発見されたため、警察はミシーの失踪を殺人と断定して捜査を進めていった。悪ふざけでカヌーを転覆させたケイトは、自分がふざけなければミシーは死なずに済んだという自責の念に駆られた。この一件によって、マックの人生は暗転し、信仰をも失ってしまった。
冬がやってきた頃、マックに差出人不明の手紙が届いた。降り続く雪が足跡を消していたため、誰が手紙を届けたのかを特定することはできなかった。不審に思いながらマックがその手紙を読むと、そこには神の署名と「もう一度キャンプ場に来なさい」というメッセージが書かれていた。
ミシーを殺した人間に復讐するチャンスかもしれないと思ったマックは、拳銃を持ってキャンプ場へと向かった。そこにはキャンピングカーがあのときのまま放置されていた。その光景を見たマックは怒りや苛立ち、虚無感を覚えたが、それらを何とか抑え込んでいた。そこへ3人の見知らぬ人間がやってきた。3人はマックを美しい小さな小屋へと招待した。不思議なことに、その小屋の周辺は夏を思わせる状態にあった。
マックはこの3人との交流の中で、自分の人生をより広い視野で見つめ直し、赦しの境地に達するのだった。
といった内容。
で、観終わっての感想。
「赦し」。人である以上、難しい境地でもある
ひとことで『赦し』と言っても、そんなに簡単なことではない。
特に、身内が殺されたら、その人間を恨み復讐しようと思うのはごく自然な感情だと思う。それを赦すことはこの世の中の人間の中で、どれくらいいるのだろう。本当に難しい境地である。
難しい内容にもかかわらず、スッと心に入る
この映画は、ある意味宗教色が強いし、スピリチュアルな要素が盛り込まれている。もちろん、それを実践できるかといえば、無理に近い。でも、映画自体は難しい内容にも関わらず、スッと心の中に入ってきた。
これを修得できたら、人間卒業かもしれない
ある意味、これを学び修得できたとしたら、それは人間自体を卒業ということかもしれない。そのように思った。
映画自体は、毛嫌いする人もいると思う。
でも、個人的にはとてもいい映画だった。