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映画「私というパズル」を観て

6月19日、「私というパズル」という映画をNETFLIXで観た。原題は「Pieces of a Woman」。2021年のカナダ・ハンガリーの合作映画で、コルネル・ムンドルッツォ監督の作品だ。

キャストは、マーサ役のヴァネッサ・カービーショーン役のシャイア・ラブーフ。などである。

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あらすじは、
出産を間近に控えるマーサ(ヴァネッサ・カービー)と夫のショーン(シャイア・ラブーフ)は自宅出産の準備を整えていたが、不運にも死産となってしまう。マーサは待ち望んだ子供を失った喪失感から心を閉ざし、ショーンとの間にも溝が広がっていく。そういった中で彼女は、母親(エレン・バースティン)やショーン、そして助産師(モリー・パーカー)らと向き合おうとする。といった内容。


で、観終わっての感想。

出産シーンがすさまじい

出産はやはり命がけなのだと、あらためて感じた。
映画内のカメラワークがすごくリアルで、カットシーンが少なく、臨場感があふれてくる。
このシーンを見て、生命の神秘、女性の偉大さを感じてしまう。
さて、一瞬は、無事生まれ、泣き声を出す赤ちゃん。
夫はその子どもを抱き上げる母と子をカメラに残す。
その直後、容態は急変する。
幸せが訪れた直後に、不幸がやってくるのだ。

誰も悪くない、やり場のない悲しみ

子どもが死産となる。
妻も夫も、助産師も、誰も悪くない。
でも、子どもは戻らない。
その悲しみを、マーサは、受け入れられない。
その悲しみを、マーサの母は、助産師への怒りにして裁判を起こす。
ただ、ひとつ言える事実。
何をしても、子どもは戻って来ないことだ。

死産後の母親の表情が、全てを拒否している。

死産後の母親の表情は、全てを拒否し、悲しみに暮れる。
その表情は、ひとこと「怖い」。
でも、周りは気を遣い、彼女と接する。
自暴自棄になるような行動から、夫の心は離れてゆく。
そして、夫との間に溝を生むこととなるのだ。

もし生きていたら、180度違う人生が待っていたのかも

最後のシーン。
リンゴの木の上で林檎をかじる少女。
「ルーシー」と呼ぶ、母親になったであろうマーサの姿がある。
このシーンで想像するのは、
もしこれが未来のシーンであれば、
父親は誰なのか?ショーンと復縁?それとも別の誰か?
もし、死産した子どもが生きていると仮定したシーンなのか?
どちらかはわからない。
ただ、ルーシーと話すマーサの会話は、幸せで平凡な家庭を想像させるのだ。

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この映画を観て、
出産というのは、現代においては医療が発達し、ほぼ安全と言われているが、それでも死産があるということ。
そして、昔であれば、出産は命がけであったのだろう。母子ともに命を落とすこともあったのだろうと思う。
それだけに生命の神秘を感じるとともに、どれだけ母親にとって子どもが自分の身体の一部であるのかを想像できたのである。



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