続東京で生きるのだ2



いよいよ憧れの東京生活が始まる。
軽い気持ちを装い 私は神戸を後にした。
荷物はジェームスディーンの絵が描いてある巾着袋に着替えのシャツとパンツ5枚ずつ。
大友荘に着いた時には日が暮れていた。
裸電球を眺めながら硬い畳の上で一夜を過ごした。翌朝早く目覚めた 取り敢えず必要な物を買いに行く。暑くてたまらないので扇風機 そして唯一の連絡手段である固定電話 お金に余裕があればテレビ等等。
アパートの周りを歩いていると一軒の電気屋が目に入った入った。竹森ラジオ商会 いかにも老舗。吸い込まれるように店に入ると 奥の小上がりに ふくよかなお母さんが「あらいらっしゃい」とにこやかに迎えてくれた。私はこれまでの一部始終を語り扇風機と電話機を買うことにした。お母さんは後で息子に配達させるよ言ってくれたので 私は手ぶらでアパートに戻った。しばらくしてお母さんの息子であろうお兄さんが扇風機と電話機を持って来てくれた。
私の部屋の裸電球を見て「これじゃ不便だろ」と自分家で使っている照明器具を無償で取り付けてくれた。恩人である。私の東京生活で電話番号を最初に教えてのが竹森ラジオ紹介のお母さんだった。東京の人達の人情に感謝。
とまあれ仕事を見つけないといけない 当時はバブル経済 働き先を見つけるのに苦労はしなかった どこでも引っ張りダコ状態だ。
しかししかし アパートの水道水が合わなかったのか 激しい腹痛と下痢に襲われてしまった。何も食べられない 何もうけつけない。
2日が経ち3日が過ぎ4日目に私はもうこのまま死んでしまうかもしれないと言う恐怖に襲われた。自力で起き上がることもやっとだった。そんな時竹森ラジオ紹介のお母さんから電話が「あんた元気にしてるの?仕事は決まったのかい?」て 私は今の現状を伝えると「それは大変だ」とメロンとコーラを持って来てくれた。
ひょっとすると孤独死してしまいそうな気がしていたけど お母さんに救われた。
お母さんが帰った後 ひとりメロンを食べながら天井を見上げると 涙が溢れて来た。
それから数日元気が戻らなかったが ようやく食欲が戻り とにかく何でも食べたいと言う衝動に襲われた。アパートから1番近いラーメン屋に入り チャーハンと餃子とラーメンと酢豚を注文した。腹一杯食べてやろうと思う気持ちと裏腹に 胃が受け付けない 食べるほどに気持ち悪くなる🥴 少し食べただけで私は店を後にした。アパートに戻り 私は今後の事を真剣に考えた。そうだ仕事を探そう❗️
その翌日には仕事が決まった 印刷会社だった。仕事はすぐに慣れたし 仲間も出来た。
しばらくはアパートと職場を行ったり来たりの生活だった。少し気分的に余裕が出来た頃 私は夕食を食べられるお店を探そうと アパートの周りを散策した。 するとあるマンションの1階で営業している居酒屋を見つけた。店の名は「紫蘇の実」 普段は知らない店に1人では行けない私だったが そんな事言ってられない。思い切って店の戸を開けてみた。
続く

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