あの選択について考えてみる
先週、友人から某大手広告代理店の女性が自殺したというニュースを教えてもらいました。
過労死という話でした。
この話をはじめて聞いたとき、なぜ彼女は「死」という選択を選んだのか。
そこがとても疑問でした。
友人に相談してどうにかならなかったのか、転職は考えなかったのか。
こんなにもたくさんの選択肢がある時代になぜ?
そもそも人間が死を選択するってどういうこと?
そんなことを考えていたときに彼女のツイッターについて、考察されている記事を読みました。
http://www.outward-matrix.com/entry/2016/10/08/113552
まず記事を読んでわかったこととして彼女の職場における過労以外のところからくる精神的ストレス
パワハラ、セクハラなどなど。
それは過労以上のものを彼女の肉体に与えるのもだったとも思います。
じゃあその精神的なストレスは、彼女にどう影響したのでしょうか。
ぼくが考えたのは、人間はそうして精神的ストレスを与えられ続けると
より本能的に生きようとするのではないか
ということです。
しかし、本能的に生きるということは、自分の目の前の現実でのみ戦っていくということです。
ある程度、文化的な一個人が縛りのあるなかで本能的にまっすぐ愚直に生きていこうとするならばどうなるか。
もしその環境がとてつもない激しさで彼女を襲ったならば、脳は勝手に自身は淘汰されるべき人間であると勘違いしてしまうのではないか、そう感じました。
逆に客観的に物事を考えるということは、少し余裕があるなかで作られるものだとも思います。
自分以外の他者の存在に気を使う。
外にあるものを知ろうとする気持ちは、親に守られている子供が好奇心が旺盛なように余裕という気持ちに守られているのではないかと思います。
その面からいくと今回の舞台である広告代理店はまさに「コミュニケーション」の業界です。
たくさんの原因があったにせよ、例えば厳しく接するのが慣習てきなものであったとしても、そこを上手くやりくりするのがその業界の技の見せ所です。
相手に広く告げるのが広告なら、相手について知る、相手の心を知る、その真髄の部分をしっかりお客様だけではなく仲間内でもやってほしいものですね。