【治療日記35】次に動くタイミングは、「その時」が来ればわかるはず
特に体調を崩しているわけでもなく、寝たきりになっているわけでもない。
ただ、しんどい、痛い、眠い、だるいは、もうデフォルトみたいなもので、そうでない自分の感覚を忘れてしまった。
とはいえ、人に会う時や取材の時はレンビマを休薬するので、その時はかなり楽になる。
先週のハードな1週間も、時折休薬を挟んだり、服用の時間をずらしたりしながら、なんとか乗り切った。
12回目のキイトルーダも無事に受けられたし、取材も2件こなした。
追加のMRI検査も受けたし、原稿も急ぎのものは提出した。
実家の両親と姉夫婦を連れて、夫のビールの店にも行った。
さすがにすべて終わると気が緩んだのか、10時間以上眠り続けた。日曜はぐったりして、何もやる気が起きなかった。
月曜の取材が先方都合で急にキャンセルになり、残念な気持ちもありながら、どこかで少しホッとしていることにも気づいていた。1週間ですべて体力を使い果たしたようで、復活するのにはもう少し時間がかかりそうだったからだ。
昨日、鍼灸に行ったらすごく体が楽になって、帰ってからnoteを書いて投稿した。(最近読んだ本の記事)
身体が軽くて、ああ、この感じ、久しぶりだと思った。そんな普通の状態が、震えるほどうれしい。頭の奥のモヤがすーっと晴れるような気がするのだ。常に「痛い」「しんどい」という思いがモヤのようにかかっているので。
でも、長くは続かない。
朝レンビマを飲むと、顕著に倦怠感がやってくる。
今朝の血圧は138/98だった。やや高めだが、最近はこれくらいだと良いほうで、朝から160を超えることもある。
お腹の痛みはかなりマシになった。以前、痛み度が1~3だったとすれば、最近は0~1くらい。痛み止め薬も半分に減った。
でもやっぱり痛いのは痛いので、薬を飲む。痛みはなくなるが、今度は急激にぼーっとして眠くなる。
だるい、しんどい、痛い、眠い。
このどれかの感覚が常にあって、1日のうちで動ける時間はほんのわずか。
やりたいことは山のようにあるけれど、ほぼできずに1日が終わる。
でも、良くなっている。
昨年の今頃から年末にかけては、人と会うたびに思っていた。
「これが最後になるかもしれないな」と。
実際、友達にそう言ったこともある。
それくらいシビアな状況で、悪くなっていくのが自分でわかっていた。
1年後の今、再び取材に行けるまでに復活しているなんて、想像できていなかった。もう一度、ビールや日本酒を「おいしい」と思えるようになるなんて、1年前は考えられなかった。
人と会うのも、飲み会の場も、とにかく辛かった。
今は薬を調整して、体をケアしながら、なんとか日常生活に近いことができるようになっている。本当によかったと思う。
その一方で、少し不安もある。
今のレンビマの量では、もう効き目がなくなってきているのだ。
3月に治療をスタートした時と比べれば、今は半分以下の量まで落としている。だからこそ、副作用も軽くなり、しんどいながらも日常生活が送れているのだが。
この間、主治医に「もう少し量を増やさないとあかんかなぁ」と言われた。
もっとがんが小さくなることを期待し、レンビマの量を増やして、また副作用と闘うか。
レンビマの量はこのままで、がんと共存しながら日常生活をなんとか送るか。
この選択が難しい。薬の量と副作用のバランスも。
少なくとも、今のレンビマの量ではこれ以上の縮小は望めないようだ。「現状維持で共存」がいいところだろう。(また進行する可能性もある)
もし量を増やしたら、せっかく仕事に復帰できたのに、またしばらく休業することになると思う。
取材どころか、人と会ったりお酒を飲んだりということも難しくなる。
この春から夏にかけてのように、強い副作用に苦しめられながら、寝たきりの生活がまた始まる。
甲状腺や腎臓、血圧だって、どうなるかわからない。
どちらにしろ、来年2月まではこのままの量でいきたいと思っている。
酒造りシーズンにできるだけ取材をしておいて、量を増やすなら春以降かな。
ああ、1年1年をなんとか生き延びていくって、なんて大変なんだろう。
関係ないが、最近、第六感のようなものが冴えている。
今朝も、起きた瞬間にふとある人のことが思い浮かんだ。この1週間くらいはまったく考えたことがなかった人のことだ。
メールチェックしたら、その人からメールが届いていた。
この頃、こういうことがよくある。
気になる言葉があったら、自然とその言葉についての情報が集まってくるとか。
今週月曜の取材がドタキャンになった時も、ちょっとぞくっとした。
それは本当に直前の金曜のことで、私は朝6時起きで奈良の酒蔵に取材に行って、15時前にようやく家にたどり着いたところだった。
19時から病院に行ってMRI検査を受けなければならず、その合間にぐったりして少しだけ寝ていた。やっと金曜日まで乗り越えてきたが、ちょっと体の限界だなぁと思っていた。
そうしたら、先方都合でドタキャンの電話。正直、助かった、と思った。
自分にとって都合のよいことがどんどん起こるようになる。
この間、瞑想の先生(ストーンヒーラーでもある)に会った時、「別に勧誘はしないけど、かおりさんはスピリチュアルな力があると思う。ヒーラーにも向いていると思うわ」と言われた。
占いは、占われるより、占うほうが圧倒的に好きだ。
母方の祖母の家系は、実は村の巫女的な存在だったという。
夫は私のタロット占いで出世した。(と夫自身が言う)
好きなビール事業を始め、社長にまでなった。確かに、困った時にはいつも占ってあげたし、振り返っても恐ろしいほど当たっている。
もちろん、今さら占い師とかヒーラーになる気はない。笑
先生に「私は書きたいんです」と言うと、「それでいいと思いますよ。でも、書くものにそういう力があるかもしれない」と言われた。
それならいいなと思う。そう信じたい。
思えば、人生は奇跡の連続だった。
タイミングがよかっただけ、という言い方もできるが、そのタイミングがいつも奇跡的だった。
だから、今回も自分の「タイミング」を信じようと思う。
私が思い描いたほうへ、物事は進んでいく。
治療に関しても、「その時」がくれば、何を選択すべきかきっとわかるだろう。
不安がらず、ただどーんと構えていよう。