【治療日記37】2024年最後の入院。今年もなんとか生き延びた!
今朝まで病院のベッドにいた。
つい先日まで、伊豆ではしゃいだり、ハードな出張取材をこなしたり、日本酒のブレンドを楽しんだり、旧友と飲んだりしていたとは思えない。
このギャップに戸惑う。
少しずついろいろなことができるようになっても、治療は続いている。
毎日レンビマ10mgを服用する。
3週間に一度、検査後に入院してキイトルーダの点滴を受ける。
それとは別に、3週間に一度は通院して血液と尿の検査を受ける。
つまり、治療を続ける限り、3週間に2回は血液と尿を診てもらわなければならない。1日3回は血圧を測って記録しているし、副作用と疼痛対策のために1日7種類の薬を飲んでいる。
そうやって、なんとか生きている。
いろいろできるようになったのは、この治療と薬があるからだ。
最初にガンになってから、なんと、もうすぐ丸9年になる。こういうのも「ベテラン」というのだろうか。
年の瀬に思うのは「今年もなんとか生き延びた」だ。
春になると思うのは「今年もなんとか桜を見られた」だ。
毎年そう思うようになったし、これからも生きている限り、そう思うのだろう。
昨日、今年最後のキイトルーダの治療を終えた。これで14回受けたことになる。
あとどれくらい続けるのか。いや、続けられるのか。
この10か月でかなり良くなったが、治療前ってどんな感じだったんだろうかと思い出したくて、昨日、病院のベッドで暇つぶしに自分の「記録」を読んでいた。
スマホの日記アプリで書いていたもので、「日記」ではなく「病状や飲んだ薬の量」だけを書いた、あくまでも「記録」だ。5、6行の短いものがほとんど。病状と薬の量を書いておけば、どれくらいのスピードで悪くなっていたのか後でわかるだろうと思い、2023年の8月から今年3月に治療が始まるまでの7か月間、記録していた。
治療をすると決めた日の記録が印象的だったので、ここに原文を記す。
※トラマドールはガンの疼痛の薬
2024年2月21日(水)
トラマドール2錠、リスミー1錠
朝、トラマドールを飲んだが、息苦しいほど辛い。痛みで気が遠くなりそうだ。
仕事をしても30分ともたなかった。
お昼の焼きそばも夫が作り、半分だけ食べた。
昼から病院。検査結果は最悪で、肝臓転移まで見つかった。
もう治療するしか選択肢はなかった。
早速追加の検査を受けた。
でも、気持ちは穏やかでスッキリしていた。ホッとしていた。本当は受けたかったのかもしれない。
とにかくやる気に満ちている!
そのためかトラマドールを追加しただけで痛みはなくなった。
夜も比較的ゆっくり眠れた。
がんばるで!!
読み終えて、ベッドの上で、あはは、と小さく笑った。
いいよね、この日の私。
気が遠くなりそうな痛みと闘って、肝臓転移まで見つかって、治療を決めた日の記録とは思えない前向きさ。
「気持ちは穏やか」
「やる気に満ちている」
「がんばるで!!」
noteに書くために強がっているわけでもない。
誰かに見せるわけでもなく、自分の記録として書いていたものだから、これが本心なんだろう。
もちろん、こんな前向きな日ばかりではない。
その約1週間前にはこんなことも書いている。
2024年2月13日(火)
午前中は原稿、昼からリモート会議。会議中に恥骨が痛くてたまらず、終わってからトラマドール4個目を飲んだ。
夜にも追加して、初めて5個までいった。
こんなに痛くて生きていけるのかと思う。
結局、治療を始めてからも痛みはなかなかおさまらなくて、一時期は1日8錠まで飲むようになるのだけど、この時はまだその壮絶な痛みを知らない。それでも「こんなに痛くて生きていけるのか」と書いている。
そんなの序の口で、まだまだ痛みは強くなるんやで、とこの日の私に言ってやりたくなる。ぞっとして、ため息が出る。
(ちなみに最近は2~4錠)
この1週間後に治療を決めて、私は本当にホッとしたんだろうな、と思う。
あの頃は、日々悪くなっていく一方で、「このままだと死ぬな」とぼんやり思っていたから。記録をつけていたのも「死に向かっていく自分」を客観視したかったからだと思う。
でも、治療が決まったら「最後にあがいてやろう」と、やる気に満ちた。
そういう前向きな気持ちで受けたから、劇的に「効いた」のかもしれない。
やっぱり記録しておいてよかった。
このnoteでの【治療日記】も37まできた。これも書いておいてよかったと思う。自分のためにも、同じような立場の誰かのためにも。
今だけでなく数年後にも、改めて「書いておいてよかった!」と思う日が来るような気がする。
来年も、残念ながら、まだ【治療日記】は続く。
できるだけ早く最終回を迎えたい。もちろん最終回はハッピーエンドだ。
ただ、今は「今年もなんとか生き延びた!」と叫びたい。
それだけで、とりあえずは最高やん。