書き続けていると、たまに素敵な出来事もある
かなり時間が経ってしまったが、4月末に私がライターとして執筆している日本酒業界誌『酒蔵萬流』40号が発行された。
この号では酒蔵の記事を2本書かせていただいたが、そのうちの1本は親戚のおじさんが働いていた酒蔵だった。
上の記事を書いた時は発行前だったので社名を伏せていたが、徳島県の芳水酒造という。
夫のお父さんのお兄さんがこの蔵で長く働いていたが、もう何年も前に退職されている。
たったそれだけのつながりにも関わらず、取材に行って書いた記事が雑誌に載ると話すと、お義母さんがとにかく喜んだ。
雑誌が発行されるとすぐに、お義母さんのところと、その働いていたおじさんの家に本誌を送った。お義母さんは想像以上に喜んで、普段はあまり自分の要望など言わない人なのに、「この雑誌、私の弟妹たちと、タケシ(うちの夫の兄)にも送ってあげたいんだけど」とメールを送ってきた。
こちらにすれば、そんな大げさな……と思う。おじさんのことが書かれているのならまだしも、名前すら出てきていないのだ。雑誌を送られてきても困るんじゃないかと思った。
せめてこの雑誌が消費者向けで、おすすめのお酒でも紹介しているような記事なら、私も送るのを躊躇しなかったが、業界誌ゆえ内容は一般人が読んでも決しておもしろいものではない。いくら地元の酒蔵だろうが、親戚が働いていたつながりがあろうが、酒造りについて書かれた専門誌を送りつけられても読みたくないだろうなぁと私は思っていた。感想も難しいし。
でも、夫に言わせれば「そういうことは問題じゃない」らしい。「雑誌送ってあげて。それでオカンはうれしいねん」と言うので、クライアントから在庫を取り寄せ、徳島のおじさん、おばさん二人、お義兄さんのところにも手紙をつけて送った。
お義母さんにその旨を報告すると、恐縮しながらもとても喜んでいたし、しばらくすると「徳島の妹から電話があってね」と、おばさんたちの反応もメールで報告してくれた。
まあ、そんなことでこんなに喜んでくれるのならいいか、と思った。私の病気をいつも心配してくれている優しい義母なのだ。お義父さんも、お義兄さん夫婦も然り。心配かけてばかりなので、たまの孝行ができたのならよかったと思うことにした。
それに、酒蔵にいた親戚のおじさん本人に読んでもらえたことが一番よかった。
おじさんとは2、3回しか会ったことがないが、実は脳梗塞か何かで半身不随になっている。状態がよくわからないのでお義母さんに聞いてみたところ、今は施設に入っているが、新聞などは読めているという。それなら何とか雑誌も読めるだろうと思い、手紙を添えて送った。
すぐにおばさん(おじさんの奥さん)から電話がかかってきた。このおばさんがまた優しい人で、最後にお会いしたのは祖母(私の夫のおばあちゃん)のお葬式だったと思うが、私は前年にガンが見つかり、抗がん剤治療を終えた後だった。私の病気を知っていたおばさんは、私を見つけるとすぐに寄ってきて「体は大丈夫?大事にしてね。わざわざ徳島まで来てくれてありがとうね」と何度も言ってくれた。
亡くなった義理の祖母は長い間寝たきりで、家で介護していたから、そのお世話をずっとやっていたのはおばさんだった。苦労もあったと思うし、お葬式でバタバタしている中、私の体を気遣ってくれることに感動した。
その後、おじさんが半身不随になり、またおばさんは介護生活を送っていた。そして最近はついにご自身が体調を崩し、おじさんを施設にあずけてご自分も療養生活をしているという。
そんな状態にも関わらず、やっぱり今回も電話でまず私の体のことを気遣ってくれた。もちろん雑誌のことも何度もお礼を言ってくれて、次に施設に行く時に持って行くわね、きっと喜ぶと思う、と話してくれた。
改めて優しい人だなぁと思った。このおばさんに限らず、とにかく夫の親戚関係は、両親を含めてみんな人間的に優しい。そういう血筋なんだな、きっと。
ふと、私の母が言っていたことを思い出す。
「自分が良い状態の時に、人に優しくできるのは当たり前。自分が辛い時にどれだけ周りの人に優しくできるか、そこにその人の本質が見えるのよ」
そんな意味のことだった。
おばさんは本質的に強く優しい人なんだなと思う。私もできればそういう人間でありたい。
それからしばらくして、施設のおじさんのところに雑誌を持っていってくれたようで、お義母さんからメールが来た。
「芳水酒造の取材の冊子、伯父さんもすごく喜んで、自分のそばに置いているそうです」
この一文を読んだ時、ポロっと涙が出た。
ああ、そうか。雑誌におじさんのことは一言も書かれていないけど、やっぱり自分が長く働いていた酒蔵のことが雑誌に取り上げられたことは嬉しかったんだ。誇らしいような気持ちだったのかもしれない。写真を見て、元気に酒造りをしていた日々を懐かしく思い出していたのかもしれない。当時は子どもだったが、今年社長を継いだ27歳の蔵元の立派な姿を見て、我が子のように頼もしくうれしく思ったのかもしれない。
「こんな雑誌送っても……」というのは、逆に私の思い上がりで、大切なものは人それぞれ違うのだと実感した。
不自由な体で施設にいるおじさん。そのそばにそっと置かれた雑誌を想像すると、目の奥が熱くなった。少しでも役に立ててよかった。
書き続けていると、たまにこんな素敵なこともある。
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