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大爆発

映画館がない、映画館まで行こうと思ったら数時間かかる過疎地で育ちました。
ですから、初めて1人で映画館に入ったのは、就職した都会で、20代になってからのことです。
その映画のことを語ろうとしているのですが、タイトルを覚えていません。なんという薄い記憶。
しかし、その体験から、かなり大人になった今まで続く映画を観る時のルールが出来ました。

ルール、といっても、大したことではありません。
エンドロールが終わり、明かりがつくまで立たない、ということです。

初めて1人で観たその映画は、海外の刑事ものか何か、アクション満載なものでした。
ごく普通に、事件が解決して、ハッピーな終わりだったのだと思います。
初めてのことで、英語の文字が延々と流れるエンドロール、音楽は楽しかった気がしますが、学のないわたしには「Jack」とか「Mary」「Peter」「Anne」なんて名前くらいしか読めません。
つまらないな、と思って画面を見ていましたが、映画館でどんな振る舞いをするのが正解かわからず、じっと座っていました。

エンドロールが終わり、やれやれ、と思ったその時、エンドロールのその後が始まりました。
あまりの衝撃で、どんなことになったのか覚えていません。
ひとつだけ覚えているのが、大爆発があったこと。
そう、ハッピーに終わったと思ったのに、大爆発!
たしか主人公は死なない程度に吹っ飛ぶとか、そんなはちゃめちゃな状態になったと思います。
それがどのように終わって明かりがついたものか、何も覚えていません。
えぇ?何これ、と呆然として明かりがついてからもしばらく座っていました。
エンドロールの最初の方で立ち上がった多くの観客は、この終わりを知らないのだ、と思いました。
今のようにSNSもなく、ネタバレするとしたら、リアルに観た人から聞くしかなかったでしょう。
つまり、よほど好きな映画で後に見直さない限り知らないエンド。
終わりまで座っていたから観られたもの。

そう、この時わたしの中で出来上がったのが、映画は明かりがつくまで終わりは分からない、明かりがつくまで動くな、でした。

こんな映画はそこまで多くないと思います。
だから、エンドロール面白くないな、と思いながら見て、結局何も起こらず、ということがほとんど。
それでも、このマイルールは好ましいと思っています。
後から、実はこんな終わりがあったと知り、残念に思うことはないですし、エンドロールの音楽や字幕のフォント、デザイン、楽しむことも増えました。
邦画の場合は、自分と同姓同名な人を探したりします。ごく平凡な名前なので、たまに見つけます。

しかし、正直なところ、この勝手なマイルールのために、途中で席を立つ人にイライラしていました。
席によっては、身体の向きを変え、通してあげなくてはいけません。前の列でも、画面が遮られることもあります。人によっては席を立つ時にスマホを出すこともあり、視界が騒がしくなります。
画面前を通り出ていくところもあり、ざわざわして邪魔で、出て行く人が多い時は本当にイライラ。
エンドロールのその後に大ドンデン返しあれ!と願ったこともありました。

最近、自分を変えようと努力中です。
人は変わらない。誰かに嫌な思いをして、苦しくても、その誰かは決して変わらないんだ。自分を変えて、考え方を変え、受け止め方を変えて、楽しく生きていくしかない。
動画サイトで見かけた所ジョージさんの言葉に感化され、「あいつ、思った通りこういう反応したよ」とか「やっぱりこう言った」と怒りではなく、面白がる、ゲームのように考える努力中です。

先日も映画館でイライラしかけたのですが、映画エンドロール中の移動する方々は「トイレを我慢していて、ギリギリな人なのだ」と考えることにしました。
映画がつまらなくて途中退席するのではない。エンドロールが退屈だから、人の邪魔してまで出ていくのではない。
あれはきっと、トイレ我慢限界な人たち!
かわいそうに。
本当にそうだったら申し訳ないけど、それはちょっとコミカル。
過去の記憶に残る大量離席場面を思い出して、笑えました。
そういえば映写室出たらトイレ行列していましたっけ。


サブスクでほとんど足りてしまう現代、ちょっとバスに乗ったら行けるようになった映画館へ、想像していたより行かなくなったのですが、初めての1人映画館は忘れられない体験。
これからも、スクリーンに集中して、音に包まれる時間、イライラせず楽しみたいと思います。
願わくば、トイレ我慢限界の民に邪魔されずに。

#映画にまつわる思い出

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