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自分の世界を生きていく
満月の月曜日。なんだかスコンと抜けたような気がした。それまでおなじところをぐるぐる歩き回っていた感覚だったのに。足を棒にして。
あたしは人の顔をすぐに見てしまうクセがある。
ここ1ヶ月ずっと考えていた。自分のことであってもすぐ人の顔を見てしまう。人の顔を見る、つまり顔色をうかがうのだ。なぜあたしは人の顔色をうかがうんだろう?人が喜ぶことを先回りして言ったりするんだろう?すぐに人と比べて自分は〜〜だから‥と勝手に判断して自分のこころに折り合いをつけるんだろう?
小さい頃、いちばん古い記憶からたどってみると、最初からそうだったわけじゃない。たぶんアレだ、転校だ。あたしは小学校3年生終わりの春休みと小学校卒業式のすぐあと、つまり中学校に上がるタイミングの2回、父の仕事の関係で転校している。
転校って嫌い。全然知らない人たちのなかにポンと放り込まれる感覚。なにもわからないまま。そこでまたイチから積み上げることを子どもながらに本能でやってた。たぶんそのとき、きっと無意識に培われた自己防衛能力、それが人の顔を見て生きている、ということ。
でも満月の月曜日にやっと気づいた。人の顔を見て生きるのは自分を生きてないことになるなぁって。今までさんざんっぱら他人軸で生きてきてそれが染み付いてしまった自分を、いま解き放ってあげよう。人を生きるんじゃなくて自分を生きよう。比べるなら過去の自分と比べよう。人の世界線で物を見るんじゃなく自分の世界で見て聞いて歩こう。そうキラリと思った。
それが満月の月曜の夜。折しもその満月は月食だった。
病気をしてからもうずっとこんなふうに精神と魂の修行中。まいにちいろんなサイズの気づきがあって、こころのなかでたくさんの短編ドラマがまいにちまいにちあぶくのようにぷかぷか浮かんでは消え浮かんでは消え‥。
と、あぶくのように消えたりしないように、もうおなじところをぐるぐる歩き回ったりしないように、あたしは書く。すべては自分のため。自分の世界で歩き生きてゆくため。
まずは自分の顔を見よう。そして人の笑顔を見ることにしよう。
そしておなかのそこから自分に大きくうなずけるまいにちを。