練武知真 第16話『全身全霊を知る為の武術』
心と頭と体を一つの事に集中させる・・・
これはなかなかに難しいことのように感じます。
特に何もかもにおいて、スピードと手軽さが重視される近年では。
そしてその反面、
何かをしながら別の事をする「ながら」の行動が日常の大半を占め、
何かをしながら別の事を考えているこの現代では、
心と頭と体がバラバラになる傾向が強い気がします。
たしかに同時に複数の事柄をおこなうことによって、効率的な作業が可能になります。
しかし、全てが効率重視で良いのでしょうか?
その渦中にいる人間の
「心」は、「頭」は、「体」は・・・
果たして大丈夫なのでしょうか?
時には
『心で思ったことを、頭を使って、体で行動する』
というシンプルかつ人間のフルスペックを集中した行動も必要なのではないか。
日本武道でいうところの
『心技体一致』
心と技と体を一致させる・・・
その感性が、
人間の分離しがちな要素を一つにまとめてくれると私は感じています。
ここで形意拳のお話をしましょう。
形意拳には、たった一つの突きを【全身全霊】で打つ段階があります。
しかしそこに至るには多くの課題があるのです。
形意拳は見た目がとてもシンプルで、一見簡単に習得できそうにも感じます。
しかし実際に学んでみると、とても難しい。
どれくらい難しいかというと、昔から、
「形意拳ほど簡単そうに見えて、学んで難しい武術はない」
とか
「形意拳は武術の究極的な姿を求める」
とか言われるほど。
腕による単純な突きに見えても・・・
実は大地への踏み込みの反動力を
《脚⇒腰背部⇒背中⇒腕⇒拳》
というように伝達させて打っています。
さらに「気」の概念の導入による呼吸力や爆発力を付加します。
ですから、始めはこの発勁(はっけい・特殊な打ち方)のシステムを体に構築することに心血を注ぎます。
かなりの時間をかけて、大地へのアクセスや全身の連動性など、自分の体内の感覚に集中して突きを練習するのです。
しかし。
しかしです。
この段階では人を打つことはできません。
なぜなら。
相手は自分の外に存在しているからです。
常に自分ばかりに集中していると、実際には打てなくなるリスクがあるのです。
これを克服する為に、ある程度「力の出し方」を身に付けたら、
「外へ意識を向ける」訓練に入ります。
実際に人間を相手に「安全に」技を仕掛ける《対練(たいれん)》で、相手への意識の集中を学び、技の効果を検証します。
また一人で訓練する際は、拳の先端から勁(連動力の効いた特殊な力)を相手へ伝える感性をもって突きを練習します。
仮想敵に打ち込む感覚です。
さらに樹木やミットに勁を打ち込む練習をおこない、勁を他者に伝える感覚を養います。
この段階の訓練で養われるものは何でしょう?
それは
「打つという思い(心)」
「打つ為の知恵(技・頭)」
「打つ行動をおこなう体」
の一致なのです。
これは中国武術で《内三合(ないさんごう)》と呼ばれる境地を指します。
【心と意の合】「思いや心理状態」と「意識の集中やイメージ活用」との結合
【意と気の合】「意識の集中」と「気」の結合
【気と力の合】「気の爆発力や運用」と「物理的な力」との結合
これを全て合一するのです。
つまりは
『全身全霊で打つ』
という事になります。
自分の持つすべての要素を
たった一つの事に集中させるのです。
これにより形意拳の高度な境地
『ただ打つだけ』
を体現できるようになります。
どのようなシチュエーションであっても、
練り上げた心身で「ただ打つ」だけ。
それで対応するという意味です。
あれこれとマルチタスクでできる事に価値観を求めがちな風潮もあると思いますが、
ただ一つの事に全身全霊で打ち込み、
そこから無限の展開へと繋がってゆく・・・
そういった世界も確実に存在しているのです。
2024年5月29日 小幡 良祐
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