歌が上手いということ⑧

この記事、元々はテレビ番組をきっかけに1回だけ書いて終わりにするつもりでしたが、続けてしまいました。

さすがに今日で一旦終わりにしたいと思います。

今日書くのは実は昨日書こうと思っていた記事です。

書いている間に書きたいことから逸れていってしまったので、今日もう1回書くことにしました。

一昨日書いた「熱唱」に関しての話になります。

まあ自分が好きだから、というだけかもしれませんが、Uruさんについて書きたいと思っていたんですよ。

というのも、熱唱とは無縁だからです。

もちろん起伏がない訳ではなく、サビでも50%位の力でしか歌っていないようなイメージで全体的に抑制的。ささやくような歌い方で、「熱唱的感情過多」とは真逆のミュージシャンだと考えています。

ただ聴き手によっては、感情のない歌と捉えられかねない。

昔なら歌い方を直されていたでしょう。

このスタイルを崩さずに歌っている、というのはもちろん、メジャーデビュー前からYouTubeで相当な再生数であったために、もうスタイルが知られてしまっており今更直せなかった、ということが最大の要因だとは思います。

ただ、このことを裏返すと、今の時代、こういう歌い方が求めている聴き手がいたからこそ、YouTubeであれだけ再生されていたとも言えます。

そうでなければ誰も聴かないでしょうから。

やはり時代が変わっているんですよ。

感情過多な歌、今では現実離れして聴こえるんですよね。もちろん歌はノンフィクションではないので、極論すると全て嘘と言えば嘘ですが、嘘にも現実にありそうな嘘と、ありえない嘘があるものです。

で、そういう「いかにも嘘」的な歌い方は受け入れられなくなっているのかと考えています。

実際Uruさんほど極端な例は少ないですが、全体的に歌自体が抑制的になっている。

で、恐らくそういう歌い方の方が現実感をもって捉えられやすいのかと。

もちろん昔からやっている方には未だに熱唱している方もいますが、もはや明らかな少数派。

ただそういう歌い方がいいとされていたのは、せいぜい90年代半ばまで。

今宇多田ヒカルさんの「真夏の通り雨」を聴いていたのですが、昔は、と思って聴いていると、やはり昔の曲も既に熱唱はしていないんですよね。

MISIAさん辺りはこの頃でも結構頑張ってる感あるけど(笑)。

もはや「熱唱」はオペラ並みにリアリティがなくなっている。

ただ、まだアマだと勘違いしている方、多いんですよね。誰もそんなもの求めてないのに。

ちょうどきりもいいので、明日からは以前書いていた記事に戻りたいと思います。




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