歌が上手いということ⑳
今日はまた昨日とは真逆なことを書きます。
まあ体調がいまいちなので、それほど重い記事は書きません。
ならもっと早く寝ろよ、という気もしますが。
というか昨日の記事、誤解を招きかねないと思い反省しています。
昨日の話は一定以上の「歌が上手い人」での話だからです。
そもそも「正確な音程」が取れなければ、「正確な音程」という概念自体意味を持たない。
音の基準がない以上、音程をコントロールする、という考え方が成り立たないということです。
もちろん相対音感で構いません。他の音との関連性で音程が理解出来れば全く問題ありません。
なぜこのようなことを書くかというと、「正確な音程」が明確に取れないのに関わらず、なんとなくずれていることだけは分かっていて、それを単純に「自分の歌は味がある」と思っている方、かなり多いんですよ。
もちろんミュージシャンの話です。
ただこれが理解出来ていないと、そもそも音のコントロールが出来るはずがありません。
あ、ここはずらし過ぎたかな、というのは元の音があって始めて成り立つ話ですから。
なんとなくずれている、というのは単なる偶然とまでは言わないまでも、「正確な音程」が理解出来ていれば有り得ない話です。
現実にはどのようなずれ方をした場合、どのような効果があるのかは明らかだと考えています(この点についてはいすれ補足したいと思います)。
でもそういう方の数は極めて限られている。
では凡人はどうすればいいのか。
明日はその点について考えてみたいと思います。
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