音楽は儲かるのか⑩
今日は予告通りサブスクの弱点について書きたいと思います。
当たり前と言えば当たり前ですが、作品の「制作者」という概念は極めて薄くなります。
もちろん、流れてくる曲を聴いて、このミュージシャンはチェックだと思わせられれば、そのようなことはありません。
でも、サブスクでの音楽の聴かれ方はやはり「受動的」。
極論すると、流れてきていいと思えば流し続け、つまらないと思えばスキップされるだけの話です。
言ってみればBGMのようなものにしか聴かれない作品がほとんどでしょう。
音楽が一種の消費財的なものになり、ミュージシャンは隠れてしまう。
実際のところこの問題に対する解決方法はありません。
聴きながされない曲を書くしかありません。
ただ確実に言えることがあります。
尺の長い曲は書くな、という点です。
このことが決していいことだとは思いません。
ただそのような作品は今求められていない。
曲の長さ見ただけでスキップされるかもしれません。
タイパの真逆ですからね。
長い曲だと、どうしても冗長な部分が出てきます。
これも決して悪いことではなくて、メリハリを付ける上ではやりやすい技法です。
立たせる部分を作るためには弱い部分もあった方がいいんですよ。
でも、今そのような作品は求められていない。
短い中でどれだけ色々な要素を詰め込めるかがポイントです。
実際、YOASOBIなんて、5分超える曲なんてほとんどありません。逆に尺が長いとその分スキップされやすくなり、再生分数維持率が低くなります。
時代の流れに抗することが出来るのはよほどの才能の持ち主でしょう。
やはり時代の流れを無視して作品を制作しても、聴かれないだけに終わります。
これが出来ないとこの世の中、生き残れません。
もし時代の流れなど関係なく、評価される人もいます。
ただ、それが通用するのは天才の中のごく一部。実際に後世に天才と呼ばれても、その当時は評価されかった方も多い。
明日はサブスクの使い方について書きたいと思います。