Sting「Russians」
本当は別の記事を書く予定だったのですが、やはりこの話について、今、書かなくてはならないような気がしたので、書くことにしました。
「The Dream of the Blue Turtles」からシングルカットされた、このアルバムでも異質な重い音。
原曲はプロコフィエフの組曲「キージェ中尉」の中の作品です。
久々にこの曲をStingが歌ったんですよね。歌わざるを得ない状況なんですよね。
発表当初は訳の分からない評論家が「We share the same biology」の部分について批判していたようですが、バカですね。「biology」は韻を踏むために使っているのに、直訳したんでしょう。
英詩というものを理解していればこのようなことは書けないはずです。
まあそんなバカは放っておいて本題に入りたいと思います。
まさかSting自身、このような時代が再び訪れるとは思っていなかったでしょう。
歌いたくなかったとも思います。こんな時代になってほしい人なんてほとんどいないでしょうから。
でも、この曲を再び歌った、というのには、少し前には想像も出来ないことがあったから。
ただ単に「戦争反対」というよりも強く響くものがあります。
それは相手に対する「信頼」、仮にそれに根拠が無くても「信頼すること」、それしか多分解決策はないんですよ。
実際に命を賭してこの戦争に反対するロシアの人たちがいる訳で、そういう人達に捧げるために、ここで久々に歌った、という意味も含まれているんだと思います。
この作品が、為政者の側の立たないことは明言されています。
だからこそフルシチョフにもレーガンにも同調しない訳です。
あくまでも「人として」という観点から描かれています。
この曲を「ウクライナのために歌った」というのは間違いではないかもしれません。
ただそれはウクライナ政府の側に立っていることを意味している訳ではありません。
ロシアの人達にも同じように語りかけているんですよ。
もちろん当たり前ですがロシア政府のために歌っている訳ではありません。
これは人間に対して語りかける作品です。
もちろん両国共、政府の側に立つ人間も多いとは思います。ただそういう人達もやはり人間であり、その人達にも人間性を取り戻してほしい、という気持ちが込められているのだと思います。
もちろんそれは難しいことであることは承知の上でしょう。
ただそれを解決しない限り、憎しみの連鎖が生まれ、平和は訪れない、そのことを考えた上での作品なんだと思います。
そういうStingの願いが届くことを祈っています。
あまり音楽的な内容の記事ではありませんが、敢えて今日はこのような記事を書かせていただきました。
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